玉関にて長安の李主簿に寄す―岑参

今年もそろそろ終わります。そこでこの詩を一首。 玉関寄長安李主簿 玉関にて長安の李主簿に寄す 岑参東去長安万里余 東のかた長安を去ること 万里余故人那惜一行書 故人 那(なん)ぞ惜まん 一行の書玉関西望腸堪断 玉関 西望すれば 腸 断つに堪えん況復明朝…

菊花

菊花 元稹秋叢繞舎似陶家 秋叢 舎を繞(めぐ)りて 陶家に似たり遍繞籬辺日漸斜 遍く籬辺を繞りて 日 漸(やうや)く斜めなり不是花中偏愛菊 是れ 花中 偏(ひとへ)に菊を愛するにはあらず此花開尽更無花 此の花 開き尽くせば更に花無ければなり 秋の草が我が家に…

山行

山行 杜牧遠上寒山石径斜 遠く寒山に上れば石径斜めなり白雲生処有人家 白雲 生ずる処 人家有り停車坐愛楓林晩 車を停めて坐(そぞろ)に愛す 楓林の晩霜葉紅於二月花 霜葉は二月の花よりも紅なり 遠くもの寂しい山を登っていくと、石の小径が斜めに続いている…

南史演義 巻6-8

これより先、劉裕は兵を指揮して進み戦わせたが、持っていた旗竿が突然折れ、旗が水に沈んでしまった。兵はみな色を失った。しかし劉裕は笑って言った。「かつて覆舟山(ふくしゅうざん)の戦においても旗竿が折れ、今またそうなった。この賊は必ず平らげられ…

南史演義 巻6-7

さて、徐道覆(じょどうふく)は江陵に攻めていったが、江陵の守将劉道規(りゅうどうき)は、劉裕の弟である。初め賊が都に迫ったと聞くと、その将檀道済(たんどうせい)に兵三千を率いさせて救援に向かわせた。しかし尋陽(じんよう)まで至ると、賊将荀林(じゅん…

南史演義 巻6-6

劉裕は石頭城(せきとうじょう)に登ってこれを眺め、初め盧循(ろじゅん)の軍が新亭(しんてい)に向かうのを見ると、左右を顧みて色を失った。やがて蔡州(さいしゅう)にまわって停泊すると、そこで喜んだ。劉毅(りゅうき)は晋の南の辺地にわたってようやく助か…

南史演義 巻6-5

この時、劉裕の軍は北から帰還したばかりで、将兵には傷病者も多く、健康な兵は一万にも満たなかった。劉毅(りゅうき)が敗れた後、賊の勢力はますます盛んになり、その兵は十万余、舟や車は百里にわたって絶えず、楼船の高さは十二丈もあった。賊に敗れて還…

七夕―李賀

今夜は七夕です。よってその詩を一首。 七夕 李賀 別浦今朝暗 別浦 今朝 暗く 羅帷午夜愁 羅帷 午夜 愁ふ 鵲辞穿線月 鵲は辞す 穿線の月 蛍入曝衣楼 蛍は入る 曝衣の楼 天上分金鏡 天上 金鏡を分かち 人間望玉鉤 人間(じんかん) 玉鉤を望む 銭塘蘇小小 銭塘…

帰雁

帰雁 銭起瀟湘何事等閑回 瀟湘 何事ぞ 等閑に回(かへ)る水碧沙明両岸苔 水 碧く 沙(すな) 明らかにして 両岸 苔むす二十五絃弾夜月 二十五絃 夜月に弾じ不勝清怨却飛来 清怨に勝へず 却飛して来たる 雁はどうしてこの瀟湘の地を気にも留めず北へと帰っていく…

之を如何

『論語』衛霊公篇 子曰く、「之を如何(いかん)、之を如何と曰(い)はざる者は、吾 之を如何ともする末(な)きのみ」と。 孔子は言われた、「これはどうすれば良いでしょう、これはどうすれば良いでしょう、と言わない者は、私にもどうしようもない」と。 孔子…

南史演義 巻6-4

ところでこの時、劉毅(りゅうき)は姑孰(こじゅく)に駐屯していた。乱を聞くとすぐに兵を出して賊を討とうとしたが、病のために果たせなかった。しかし何無忌(かむき)が敗れたと聞くと、病をおして兵を起こし、盧循(ろじゅん)を討とうとした。劉裕は彼が敵を…

南史演義 巻6-3

江州にあった何無忌(かむき)は賊徒の報告を受けて激怒した。「やつらは朝廷に人がいないと侮っているのか?」そして尋陽(じんよう)から軍を起こしてこれを撃とうとした。長史の鄧潜之(とうせんし)は諫めて言った。「聞くところ賊兵は非常に盛んで、また上流…

南史演義 巻6-2

羅氏(らし)は盧循(ろじゅん)の人物の意気軒昂なことを思い出し、夫にふさわしいと考え、人を遣わして盧循に結婚するよう説いた。しかし盧循には妻があるためこれを断った。帰ってきた使者が報告すると、羅氏は笑って何も言わなかった。 ある日突然、楼船百艘…

南史演義 巻6-1

第六巻 東寇 虚に乗じて社稷を危うくし 北師 国に返りて烽煙を靖(やす)んず (1) さて晋は広固(こうこ)に総攻撃をかけ、早朝から将兵がひとしく奮戦したため、昼にはついに陥落した。燕王慕容超(ぼようちょう)は数十騎を率いて突撃し、包囲を破って脱出し…

将進酒

将進酒 李白 君不見黄河之水天上来 君 見ずや 黄河の水 天上より来たるを奔流到海不復回 奔流 海に到りて 復た回(かへ)らず君不見高堂明鏡悲白髪 君 見ずや 高堂の明鏡に白髪を悲しむを朝如青糸暮成雪 朝には青糸の如きも 暮には雪と成る人生得意須尽歓 人生…

張飛の成長

引き続き張飛の話です。 徐州での失態以降、張飛が起こす大きなトラブルはなくなります。そして逆に次のような例が見られるようになります。

張飛―愛すべきトラブルメーカー

久しぶりの『三国志』について。 小説『三国志演義』の主人公といえば劉備、関羽、張飛の三兄弟で、それぞれのキャラクターも確立しています。情け深く仁徳の人である劉備、義に厚く知勇に優れた名将関羽、そして乱暴者のトラブルメーカー張飛です。 今回、…

秦淮に泊す

泊秦淮 秦淮(しんわい)に泊す 杜牧煙籠寒水月籠沙 煙は寒水を籠(こ)め 月は沙(すな)を籠む夜泊秦淮近酒家 夜 秦淮に泊し 酒家に近し商女不知亡国恨 商女は知らず 亡国の恨み隔江猶唱後庭花 江を隔てて猶ほ唱す 後庭花 もやは寒々とした川の水を包み込み、月…

南史演義 巻5-8

慕容超(ぼようちょう)はそこで韓範(かんはん)を秦に遣わして援軍を求めさせた。しかし彼らは知る由もなかったが、そのころ秦は夏(か)の侵攻を受け、兵を出しても敗戦が続いており、他を顧みる余裕はなかったのである。そのため先に遣わされた張綱(ちょうこう…

南史演義 巻5-7

段暉(だんき)の言に対して、慕容超(ぼようちょう)は言った。「卿の下策がすなわち上策だ。今、歳星は斉の方角にある。すなわち天道から推察すれば、戦わずとも勝ちは得られるはずだ。そして我が方と敵の状勢はそれぞれ異なるが、人事から言っても勝ちの状勢…

南史演義 巻5-6

その冬、汝水(じょすい)は乾上がり、黄河は凍ったが、澠水(べんすい)は凍らなかった。燕王慕容超(ぼようちょう)は左右に問うた。「澠水はどうして凍らないのか?」右筆の李宣(りせん)は言った。「その川は京城を巡っており、日や月〔天子や皇后を指す〕に近…

南史演義 巻5-5

長安を出て一日も立たないうちに、慕容超(ぼようちょう)らは燕との境界にたどり着いた。地方官が先行して燕王に奏上した。燕王慕容徳(ぼようとく)はこれを聞いて大いに喜び、騎兵三百を遣わして彼を迎えた。慕容超は広固(こうこ)に至り、そこで慕容徳に会っ…

易水送別

易水送別 駱賓王 此地別燕丹 此の地 燕丹に別れ壮士髪衝冠 壮士 髪 冠を衝(つ)く昔時人已没 昔時 人 已に没し今日水猶寒 今日 水 猶ほ寒し この地はかつて荊軻が燕の太子丹と別れたところだ。当時の壮士たちは、髪が冠を突き上げるほど悲憤慷慨していた。そ…

南史演義 巻5-4

ところで南燕王慕容徳(ぼようとく)は、はじめ前秦に仕えて張掖(ちょうえき)太守となった。母の公孫氏(こうそんし)、同母兄の慕容納(ぼようのう)はみな張掖に住んでいた。淮南の役〔前秦の苻堅が南下して東晋を攻めた戦〕では慕容徳は苻堅(ふけん)にしたがっ…

南史演義 巻5-3

夏四月、劉裕は藩国に帰ることを願い出た。詔があり、改めて都督荊司等十六州諸軍事に任じられ、軍を率いて京口(けいこう)に還った。 これより先、桓玄が禅譲を受けた際、王謐(おうひつ)は司徒となり、自ら安帝の玉璽を解いて桓玄に奉った。その王謐が揚州刺…

南史演義 巻5-2

これより先、劉裕は劉敬宣(りゅうけいせん)に命じて諸軍の後援としていた。敬宣は日夜おこたることなく武器甲冑を整え、金や糧食を集め蓄えていた。そのため何無忌(かむき)等は敗退したとはいえ、これらを得てまた士気は高まった。兵を数十日とどめた後、ま…

南史演義 巻5-1

第五巻 晋室を扶(たす)けて四方は悦び服し 燕邦を伐ちて一挙に蕩平す さてこの桓玄(かんげん)を殺したのは、すなわち益州刺史毛璩(もうきょ)の甥、毛祐之(もうゆうし)であった。桓玄が帝位を簒奪した際、毛璩を益州刺史とし、さらに左将軍を加えようとしたが…

歩出夏門行〔観滄海〕 ― 曹操

歩出夏門行〔観滄海〕 曹操 東臨碣石 東のかた碣石(けっせき)に臨み以観滄海 以て滄海を観る水何澹澹 水は何ぞ澹澹(たんたん)たる山島竦峙 山島 竦峙(しょうじ)たり樹木叢生 樹木 叢(むら)がり生じ百草豊茂 百草 豊かに茂る秋風蕭瑟 秋風 蕭瑟として洪波湧起…

巧言令色、鮮し仁

『論語』学而 子曰く、「巧言令色、鮮(すくな)し仁」と。 孔子は言われた、「巧みな言葉を用い、愛想良く表情を取り繕う者は、仁の心は少ない」と。 孔子の有名な言葉の一つです。 漢の包咸(ほうかん)の注によれば、「巧言」とは言葉を巧みに飾ること、「令…

隋宮の春

隋宮の春 杜牧龍舟東下事成空 龍舟 東に下るも 事 空(くう)と成る蔓草萋萋満故宮 蔓草(まんそう) 萋萋(せいせい)として 故宮に満つ亡国亡家為顔色 国を亡(ほろ)ぼし家を亡ぼすは 顔色が為なり露桃猶自恨春風 露桃 猶ほ自ら春風を恨む 煬帝は龍舟を浮かべて東…