南史演義 巻6-7

 さて、徐道覆(じょどうふく)は江陵に攻めていったが、江陵の守将劉道規(りゅうどうき)は、劉裕の弟である。初め賊が都に迫ったと聞くと、その将檀道済(たんどうせい)に兵三千を率いさせて救援に向かわせた。しかし尋陽(じんよう)まで至ると、賊将荀林(じゅんりん)に敗れ、兵を退いて還った。荀林はそのまま勝ちに乗じて江陵に攻めかかり、その兵勢は非常に盛んであった。

  またその時、譙縦(しょうじゅう)が蜀で反乱し、さらに桓謙(かんけん)が秦から帰ってきて、蜀の兵を率いて来寇してきた。荀林は江津(こうしん)に、桓謙は枝江(しこう)に駐屯し、二つの敵が遠く呼応しつつ迫ってきた。加えて江陵の人々は多くが桓氏の旧恩を慕っており、二心を懐く者もあった。劉道規はそこで将兵を集めて告げた。「今、桓謙が近くにあり、人々はみな去就について考えていると聞く。我らは東から来た文武の者だけで事を成すに足る。もし去りたいと思う者があれば、自由にするが良い。」そして夜に城門を開くと明け方まで閉じなかった。人々はその誠心に感じ入り、そむく者はなかった。

 襄陽太守魯宗之(ろそうし)は、江陵の危急を知り、兵を率いて救援にやって来た。劉道規は単騎で迎え入れ、そのまま城の守りをゆだねると、自らは諸将を率いて桓謙を攻めよとした。ある人が諫めて言った。「今、城を出て桓謙を攻めても、勝てるとは限りません。荀林は近く江津にあり、こちらの動静をうかがっています。もしその隙に城に攻め寄せてくれば、魯宗之どのでは必ずしも守り切れません。もしつまずきがあれば、大事は失われるでしょう。」

 劉道規は言った。「諸君は兵機を知らない。荀林は凡才であり、奇計はない。私が城を出ても遠くに行かなければ、あえて兵を率いて城に向かうことはあるまい。桓謙は我らがやってくるとは思っておらず、これを攻めれば勝てよう。荀林は桓謙が敗れたと聞けば、胆を冷やして攻めてくることはあるまい。魯宗之が独りで城を守って数日も支えられないことがあろうか?」そのまま彼は兵馬を率いて水陸からともに進み、枝江にいる桓謙を攻めた。果たして桓謙は大敗し、小舟に乗って逃走したが、副将の劉遵(りゅうじゅん)が追撃してこれを斬った。さらに引き返して荀林を撃破し、江陵は無事であった。

 ここに至って徐道覆が兵三万を率いてたちまち破冢(はちょう)に至った。彼は、盧循(ろじゅん)が都を平定し、徐道覆を荊州刺史に任じたと伝え、江陵の人々はみな大いに懼れた。劉道規は「やつらを自由にさせて城に近づけるべきではない」と言い、豫章口(よしょうこう)に防塁を築いてこれを防いだ。徐道覆はこれを攻めあぐねていた。

 

 一方、劉裕は水軍を整え終わり、檀韶(だんしょう)を先鋒とし、南陵で賊将范崇明(はんすうめい)を撃破し、これを斬った。盧循は恐れて徐道覆に書簡を送って言った。「江陵での争いを止め、引き返して劉裕を防げ。」徐道覆はすぐに軍を引いて急ぎ帰り、盧循の軍と合流した。

 冬十二月、劉裕は雷池(らいち)に至った。賊軍は、雷池を攻めずに流れに乗ってまっすぐ建康に向かうと言いふらした。劉裕は諸将に言った。「賊はこのように言うが、明日こちらに攻めてくるだろう。我らは陣を固めて待つのがよい。」翌朝、果たして賊軍の船が長江を覆うように下ってきた。旗や槍が密集し、銅鑼や太鼓は天を震わせ、その船団の端を見ることができないほどであった。

 劉裕は歩兵を西岸に駐屯させ、まず火の用意をして岸の横に隠し、そして兵士に命じた。「今日は西風が非常に強く、賊は風上を押さえるため、必ずこの西岸に停泊するだろう。そこで火を放ってそれを焼け。」歩兵は命を受けて去った。

 また水軍に命じて軽船をことごとく出撃させ、数十隊に分け、東岸に並べておいた。船の上にそれぞれ大弓百張を設け、命じて言った。「初めはそれぞれ思うように戦い、進退も自由にせよ。中軍の太鼓を聞いたら、全軍隊列を整えて攻めよ。そこで退く者があれば斬る!」諸将はみな命令に従って事を行った。戦に臨んで果たして賊軍の舟はことごとく西岸に停泊した。官軍は敵を迎え撃って防ぎ、東に西にと走って戦い、そのさまはあたかも遊龍のようであった。

 にわかに賊の陣中に火が起こると、劉裕は攻撃を命じた。太鼓の音は大いに響き渡り、諸将はみな勇を奮って敵を殺しまくった。後方の火勢はますます盛んになり、賊の楼船は大半が焼かれた。前方から万を数える矢が一斉に放たれ、当たるものは胸を貫かれ、賊軍は崩潰した。岸の上に降服を招く旗を一面に立て、降る者は死を免ずと書かれていた。そこで賊兵で生き残った者は、みな甲冑を捨てて降伏した。盧循と徐道覆はこの事態を見ると、そのまま残兵を収めて東へ逃げていった。