南史演義 巻5-4

 ところで南燕王慕容徳(ぼようとく)は、はじめ前秦に仕えて張掖(ちょうえき)太守となった。母の公孫氏(こうそんし)、同母兄の慕容納(ぼようのう)はみな張掖に住んでいた。淮南の役〔前秦の苻堅が南下して東晋を攻めた戦〕では慕容徳は苻堅(ふけん)にしたがって出陣したが、その際、黄金の剣を留めて母に別れを告げた。「この乱世のこと、別れはやすく再会は難しいものです。母上、この剣を見て私だと思っていてください。」

  後に兄の一人の慕容垂(ぼようすい)とともに兵を挙げて秦に背いた。秦は彼の兄の慕容納及び諸子を捕らえて皆殺しにした。母親の公孫氏は老いていたため死を免れた。慕容納の妻段氏(だんし)はちょうど妊娠しており、刑が決まらぬまま獄につながれた。段氏は獄中で終日泣き悲しんでいた。一人の獄吏がひそかに告げて言った。「ご夫人、ご心配にはおよびません。私が必ずあなたをお救いいたします。太夫人〔公孫氏〕と一緒に他国にお逃げください。」段氏「そなたは何者です?どうして私を助けるのですか?」獄吏「私は姓は呼延(こえん)、名は平(へい)、その昔、ご夫人の家にお仕えしておりました。旧主の御恩を思い、願わくは家族とともにご一緒して、この難を避けたいと思います。」段氏は感謝した。

 呼延平はまず先に家を城外に移し、公孫氏をそこに迎えた。その後、機会をうかがってひそかに段氏を出獄させ、羌中(きょうちゅう)に逃げていった。段氏は恐怖のためか、その地について数日も立たぬうちに男子を産んだ。その子は超(ちょう)と名付けられた。慕容超が十歳の時、公孫氏が病にかかった。臨終に際して黄金の剣を彼に授け、「お前は東に行きなさい。この剣をお前の叔父に返すのです」と遺言した。

 慕容超は常にこの剣を帯びていた。前秦が姚萇(ようちょう)に滅ぼされ後秦に代わると、呼延平は母子を長安に遷した。しかし突然、呼延平は亡くなり、彼の一人娘が残されたので、段氏は彼女を慕容超に娶らせた。

 

 慕容超は成長すると、日々東に行きたいと思うようになったが、秦人に気づかれることを恐れていた。そこでわざと狂人のふりをし、乞食をして汚れまみれであったため、人々はみな彼をさげすんだ。東平公苻紹(ふしょう)が道ばたで彼に出会い、その容貌が常人でないと思って尋ねてみると、なんと慕容超であった。そこで秦王姚興(ようこう)に言った。「慕容超はその容貌は極めて優れており、きっと真の狂人ではありません。官爵を与えて彼を留め、他国に行かせないようにすべきです。」姚興はそこで彼を召し出して謁見した。慕容超は呆然と立ったまま跪かず、左右が命じて初めて拝礼した。姚興が彼と話をしてもことさらに見当違いの答えばかりで、問いに答えないこともあった。姚興は笑って言った。「『美しい皮が愚かなる骨を包むことはない』という諺があろう。外見と内面は一致するものよ。」結局、慕容超を用いることはなかった。

 ある日、慕容超が長安の街を歩いていると一人の占い師に会った。東の方言で占いを勧め、姓名を問われたので「慕容超」と答えた。すると占い師はしばらく彼をじっと見ていたが、占いを止めて彼を人気の無い所に呼んで聞いた。「お前は本当に慕容超か?」「そうだ。」占い師は笑って言った。「私はおぬしを長い間探していたのだ!はからずも今日遇うことができようとは!夜中にまたここに来きてくれ。おぬしに内密の話がある。約束を違えるなよ。」慕容超は内心いぶかしく思いつつ、その場は別れて去って行った。

 そして夜が更けると、またその占い師を訪ねた。占い師は門を出て彼を迎え入れ、大いに喜んだ。座を定めた後、語って言った。「おぬしに本当のことを告げよう。わしは占い師ではない。南燕の右丞相呉弁(ごべん)という者だ。燕王の命を奉じて特におぬしを訪ねたのだ。ぜひ一緒に来てもらいたい。ぐずぐずしていると事が漏れてしまい、この秦を抜け出すこともできなくなろう。」

 慕容超はそこであえて母や妻に告げず、すぐに彼について長安を逃げ出した。道中で姓名を変えたためか、阻むものはなかった。