南史演義 巻6-8

 これより先、劉裕は兵を指揮して進み戦わせたが、持っていた旗竿が突然折れ、旗が水に沈んでしまった。兵はみな色を失った。しかし劉裕は笑って言った。「かつて覆舟山(ふくしゅうざん)の戦においても旗竿が折れ、今またそうなった。この賊は必ず平らげられよう。」

 ここにいたって果たして大勝利をおさめ、得られた士卒や兵糧は数えられないほどであった。諸将は本陣に入ってお祝いを述べた。劉裕は言った。「賊は敗れ去ったため、必ず番禺(ばんぐう)に還るであろう。この時、番禺はすでに孫処(そんしょ)らに押さえられていようが、そうなると彼らは孤軍無援となってしまい、賊を制するには不十分となる恐れがある。」そこで胡藩(こはん)、孟懐玉(もうかいぎょく)に命じ、軽軍五千を率いて追尾させ、残敵を掃討する任を与えた。

 ところで盧循(ろじゅん)と徐道覆(じょどうふく)は残兵を率い、夜陰に乗じて番禺に帰った。しかし彼らは知らなかったが、すでに孫処、沈田子(しんでんし)の二将が劉裕の命令を受け、十二月の初めに兵を率いて城を攻め、一族を滅ぼし、兵を整えて待っていたのである。盧循は道中にあって城がすでに失われているのを知らず、まっすぐ番禺に至り、慌ただしく兵を整えて入城しようとした。

 しかし城下に至ると、四方の門が堅く閉ざされ、城上にあまねく旌旗が立ち翻っているのを見た。一人の将が甲冑を身にまとい、城壁の上に立って大声で呼ばわった。「盧循、おまえの巣穴はすでに失われた。今さら来てどうするのだ?」盧循は大いに驚いて問うた。「おまえは何者だ。我が地を押さえたのか?」城上の将は答えて言った。「私は振武将軍孫処である。太尉〔劉裕〕の命を受け、おまえの巣穴を傾け、おまえの退路を断ったのだ。ここでまだお前は死活が分からないのか!」盧循は徐道覆を顧みて言った。「この城がもし失われたら、我らは身を寄せるところがない。どうすればよい?」徐道覆は言った。「事態は急でしたので、やつらは孤軍無援です。それに乗じて速やかにこれを攻めたてれば、きっと勝てるでしょう。」そこで賊兵を指揮し、四方から攻撃し、城中もまた四方に敵をを防いだ。

 対峙すること二十日あまり、城はしだいに支えきれなくなった。孫処は沈田子に言った。「援軍は至らず、矢も尽きようとしている。どうすればよいか?」沈田子は言った。「風を見るにすでに西北に転じています。三日と立たず、援軍は必ずやって来るでしょう。」

 ある日、たちまち城外で雷のような砲声を聞き、賊兵は散り散りとなって退いていった。遠く海の方を眺めると、官軍の旗を立てた一群の人馬があり、賊の陣に左右から攻めかかっており、賊兵も必死に戦っていた。

 沈田子は援軍が至ったことを知り、そのまま孫処を留めて城を守らせ、自ら兵を率いて進み出て戦った。両側から挟撃されて賊兵は大敗し、盧循は狼狽して逃げ去った。徐道覆は始興(しこう)に逃走しようとしたが、周りの兵が散じてしまい、ついに殺された。

 戦が終わって初めて、来援したのが胡藩、孟懐玉であると知り、再会を大いに喜んだ。沈田子は二将に城に入るよう勧めたが、胡藩は言った。「賊はまだ遠くに行っていない。これを追撃すれば捕らえられよう。君と孫将軍は周囲を鎮撫してくれ。私と孟将軍は賊徒を捕らえに行く。」話が終わると、手を取り合って別れた。

 ただ官軍が追撃しても、果たして賊徒を捕らえることができるかどうかは分からない。次回の講釈を待て。