2016-01-01から1年間の記事一覧

相送―何遜

相送 何遜(かそん)客心已百念 客心 已(すで)に百念孤遊重千里 孤遊 千里を重ぬ江暗雨欲来 江 暗くして 雨 来たらんと欲し浪白風初起 浪 白くして 風 初めて起こる 異郷にある身の心にはさまざまな思いが湧き起こってくる。私はただ一人これからまた千里の旅…

南史演義 巻3-8

一方、劉牢之(りゅうろうし)は兵を退いて以降、人心を大いに失い、威望も激しくそこなわれ、心中非常に悔いていた。そしてある日、劉牢之を会稽内史に任ずる詔が下ると、彼は大いに懼れた。「こうなっては我が兵が奪われてしまう。禍が迫ってきた!」この時…

南史演義 巻3-7

この時、桓玄(かんげん)はしばしば勝利を収めていたとはいえ、やはり劉牢之(りゅうろうし)を恐れ、あえてすぐに都の門を犯そうとはしなかった。卞范之(べんはんし)が言った。「劉牢之が強兵数万を擁しながら、溧州(りつしゅう)に軍をとどめ、徘徊して進もう…

南史演義 巻3-6

ところで、庾楷(ゆかい)はもともと反覆の徒であり、先ごろ桓玄(かんげん)に味方したものの、ただ南昌(なんしょう)太守を与えられただけであったため、鬱鬱(うつうつ)として楽しまなかった。そして桓玄によって夏口(かこう)に移されたため、さらに不満を抱き…

南史演義 巻3-5

ところで楊広(ようこう)は襄陽(じょうよう)に逃げかえり、泣きながら瓊玉(けいぎょく)に言った。「弟は戦死し、我が軍は全滅しました。あなたの夫の一族はことごとく殺害され、襄陽は孤城となっています。恐らくはこれを守ることは難しいと思われます。どう…

一片の氷心 玉壺にあり

芙蓉楼送辛漸 芙蓉楼にて辛漸(しんぜん)を送る 王昌齢寒雨連江夜入呉 寒雨 江に連なりて 夜 呉に入る平明送客楚山孤 平明 客を送れば 楚山 孤なり洛陽親友如相問 洛陽の親友 如(も)し相ひ問はば一片氷心在玉壺 一片の氷心 玉壺(ぎょくこ)に在り 冷たい雨が長…

南史演義 巻3-4

しかし楊佺期(ようせんき)が江陵に至ると、殷仲堪(いんちゅうかん)のもとには援軍をねぎらう酒食などもなく、ただ麦を軍に支給しているだけであった。楊佺期は大いに怒って言った。「殷侯はわしを誤らせた。今ここで敗れるだろう!」そのまま仲堪の方を見ず…

南史演義 巻3-3

この時、殷道護(いんどうご)、桓昇(かんしょう)の二子は将台の上に座り、瓊玉(けいぎょく)の絶世なる容貌と優れた武芸に魂も奪われ、すぐにでも華燭の典を結びたいと切望していた。やがて瓊玉は台に上がり席についたが、風流なるその姿にますます心を動かさ…

父母の年は

『論語』里仁篇 子曰く、「父母の年は、知らざるべからざるなり。一には則ち以て喜び、一には則ち以て懼(おそ)る」と。(孔子は言われた、「父母の年は、知っておくべきだ。一つにはその長寿を喜び、一つには年老いたことを心配するのだ」と。 若い時には全…

南史演義 巻3-2

ある日、殷道護(いんどうご)と桓昇(かんしょう)はともに襄陽(じょうよう)にやってきて、それぞれ宿舎に入った。二人はもともと知り合いであり、翌日は馬を並べて軍府を訪ねた。殷は桓に言った。「我らと君らとはともに中原に鹿を逐っているが、その鹿は誰の…

南史演義 巻3-1

第三巻 楊佺期 武を演じて婚を招き 桓敬道 師を興して境を拓く 桓修(かんしゅう)は司馬元顕(しばげんけん)に計を進めて言った。「西府の殷仲堪(いんちゅうかん)、桓玄(かんげん)らは、もっぱら北府の王恭(おうきょう)を頼みとしておりましたが、王恭が破滅し…

関羽と曹操

以前、関羽と曹操の関係について少し述べましたが、『三国志演義』においてこの二人の関係(因縁と言って良いかもしれません)は一つの重要な要素です。 関羽と曹操が初めて会ったのは、第5回です。 漢末の混乱に乗じて権力を握り、都で横暴の限りをつくす董…

黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

黄鶴楼送孟浩然之広陵 黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る 李白故人西辞黄鶴楼 故人 西のかた黄鶴楼を辞し煙花三月下揚州 煙花 三月 揚州に下る孤帆遠影碧空尽 孤帆(こはん)の遠影 碧空に尽き唯見長江天際流 唯だ見る 長江の天際に流るるを 親しい友は…

政は正なり

今から2500年ほど前、中国は春秋・戦国時代という戦乱のただ中にありました。そのような社会情勢にあって、生きるとは何か、国家とはどうあるべきか、といったことなどを考えるさまざまな学問が起こってきます。そしてその結果、中国は諸子百家の時代を迎えま…

鸛鵲楼に登る

登鸛鵲楼 鸛鵲楼(かんじゃくろう)に登る 王之渙(おうしかん) 白日依山尽 白日 山に依(よ)りて尽き黄河入海流 黄河 海に入りて流る 欲窮千里目 千里の目を窮めんと欲し更上一層楼 更に上る 一層の楼 白日は西の山際にかかって隠れようとしている。黄河は遥か…

曹操の恋―吉川『三国志』より

関羽と曹操について、今回は吉川英治『三国志』から見てみたいと思います。 以前述べたように、曹操は関羽を非常に高く評価し、自身の部下にしたいと願いますが、その時の曹操の思いを、吉川英治は「恋」と表現しています。 吉川英治『三国志』では「恋の曹…

南史演義 巻2ー8

己亥の日、司馬尚之(しばしょうし)は牛渚において庾楷(ゆかい)を大いに破り、庾楷は単騎で逃げ去った。尚之は勝ちに乗じて、そのまま西府の軍と横江において戦ったが、あろうことか大敗を喫してしまい、率いていた水軍は全滅してしまった。

義絶―関羽

関羽、字は雲長は、『三国志』中でも非常に人気のある人物の一人です。 劉備が旗揚げした頃から仕え、張飛とともにその護衛官のような役割を務めていました。その関係性は、『三国志』蜀書・関羽伝に「恩は兄弟の如し」とあるように、非常に親密なものであり…

南史演義 巻2ー7

話は変わって、相王司馬道子(しばどうし)の世子元顕(げんけん)は、十六歳であったが、非常に聡明で政治にも明るく、気力も盛んで鋭かった。常に朝廷が地方の諸侯の掣肘を受けていることを憂い、しばしば父に早くそれらの対策を謀るよう勧めていた。そこで道…