七夕―李賀
今夜は七夕です。よってその詩を一首。
七夕 李賀
別浦今朝暗 別浦 今朝 暗く
羅帷午夜愁 羅帷 午夜 愁ふ
鵲辞穿線月 鵲は辞す 穿線の月
蛍入曝衣楼 蛍は入る 曝衣の楼
天上分金鏡 天上 金鏡を分かち
人間望玉鉤 人間(じんかん) 玉鉤を望む
銭塘蘇小小 銭塘の蘇小小
又値一年秋 又た値(あ)ふ 一年の秋
別れの天の河は今日は薄暗く、薄絹の帷の中で私は夜中まで愁いに沈む。カササギは、針に糸を通す女性たちを照らす月のもとを飛び去り、蛍は、衣裳を干していた高殿に入り込む。天にかかるのは、黄金の鏡が二つに割れたような半月で、それを人の世から眺めるとまるで白玉の鉤のよう。銭塘の蘇小小よ、あなたにまだ逢えないまま、また今年も秋が巡ってきた。
※[別浦]別れの水辺。天の河を指す。 [午夜]真夜中。 [銭塘蘇小小]南斉時代、銭塘(浙江省杭州)にいたとされる名妓。ここでは李賀の会いたい女性を蘇小小になぞらえている。
七夕の詩は、一般に牽牛織女の伝承、すなわち一年に一度しか会えぬ、また会ったとしてもすぐに別れなければならないという悲劇を題材とします。そして唐詩には、牽牛織女を思いつつ、七夕になっても愛する人に会えない愁いを詠ったものがしばしば見られます。
さらにこの李賀の「七夕」には、七夕に関わる伝説や風習に基づく語が多く用いられています。
例えば、三句めの「鵲」は、鵲が天の川をうずめて織女を渡らせたという伝説に基づくものです。いわゆる「鵲の橋」伝説として日本にも伝わり、和歌の中にもしばしば歌われています。
かささぎの わたせるはしに おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
大伴家持
さらに「穿線」(線を穿(うが)つ)とは、針に線(糸)を通すことを言います。七夕の夜に、女性が月明かりのもとで、針穴に五色の糸を通して手芸の上達を祈るという「乞巧」の風習があります。織女は裁縫に巧みであるとされ、それで一年に一度の再会がかなう夜に織女星を祭って、手芸(裁縫や機織り)の上達を祈ったものと思われます。
四句めの「曝衣」(衣を曝(さら)す)とは、七月七日は古くから虫干しをする習慣もあり、それを踏まえた語です。この頃は旧暦では初秋にあたり、農家では忙しくなる刈り入れ時の前に、夏の衣の虫干しを行っていたとされます。また、衣だけでなく書物の虫干しも古くから行われていたようです。
このように七夕にまつわる語を多く取り入れつつ、愛する女性を南斉時代の有名な妓女蘇小小になぞらえつ、彼女に会えぬ悲しみを詠っています。
帰雁
帰雁 銭起
瀟湘何事等閑回 瀟湘 何事ぞ 等閑に回(かへ)る
水碧沙明両岸苔 水 碧く 沙(すな) 明らかにして 両岸 苔むす
二十五絃弾夜月 二十五絃 夜月に弾じ
不勝清怨却飛来 清怨に勝へず 却飛して来たる雁はどうしてこの瀟湘の地を気にも留めず北へと帰っていくのか。水は青く澄み沙は白く輝き、両岸は青々と苔むしているというのに。
それは清らかな夜の月の下、二十五絃の琴が奏でられるのを聞くと、悲しい音色に堪えかねて北へと帰っていくのだ。
※[何事]どうして。 [等閑]なおざりにする。軽んじる。 [二十五絃]瑟(琴の大型のもの)の一種。古の伝説の帝伏羲(ふくぎ)が作ったとされる。一説に、伏羲は初め仙女の素女に五十絃の瑟を弾かせたが、その音色があまりに哀しいため、壊して二十五絃にしたともいう。また湘水の女神が瑟を奏でることは古来しばしば詩に詠われる。 [却飛来]諸説あるが、「来」は助辞ととらえ、飛んで帰っていく意と取る。
「瀟湘」とは、湖南省を流れる瀟水・湘水二水の名です。古の聖王舜の二人の妃(娥皇・女英)が、南方を巡行中に崩御した舜を慕って川に身を投じ、湘水の女神になったという伝説があります。
一方で、「瀟湘八景」(瀟湘夜雨、平沙落雁、煙寺晩鐘、山市晴嵐、江天暮雪、漁村夕照、洞庭秋月、遠浦帰帆)で知られる風光明媚な地でもあります。そしてこの近辺に回雁峰があり、秋に北から飛んできた雁は、その峰より南には行かず、春になると北へ還っていくと言われます。
この詩は、詩人と雁との問答体になっています。一二句で、美しい風景があるのにも関わらず、なぜ帰っていくのかと詩人が雁に問いかけ、三四句で雁がそれに答えるのです。湘水の女神が奏でる二十五弦の瑟の哀しい音色に堪えられないためなのだと。
瀟湘の夜の風景、青い水、白い砂、苔むす岸辺、それらが月明かりに照らされ、そこに二十五弦の琴の哀しい音色が響くという、非常に叙情的な美しい風景を見事に描き出しています。