曹操の恋―吉川『三国志』より

 関羽曹操について、今回は吉川英治三国志』から見てみたいと思います。

 以前述べたように、曹操関羽を非常に高く評価し、自身の部下にしたいと願いますが、その時の曹操の思いを、吉川英治は「恋」と表現しています。
 吉川英治三国志』では「恋の曹操」という章があり、次のような曹操の台詞があります。

 実をいうと、予は遠い以前から、関羽の男ぶりに恋しておる。沈剛内勇、まことに寛濶(かんかつ)な男で、しかも武芸は三軍に冠たるものがある。……こんどの戦こそ、日頃の恋をとげるにはまたとない好機。なんとかして彼を麾下に加えたいものである。
  ……〈略〉……
きょうは実に愉快な日だ。曹操にとっては、日頃の恋がかなったような――また一挙に十州の城を手に入れたよりも大きな歓びを感じる。

 曹操自らそれは「恋」であると言っています。この場面は、優れた士を敬愛する曹操の心情が強くうかがえます。

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南史演義 巻2ー8

 己亥の日、司馬尚之(しばしょうし)は牛渚において庾楷(ゆかい)を大いに破り、庾楷は単騎で逃げ去った。尚之は勝ちに乗じて、そのまま西府の軍と横江において戦ったが、あろうことか大敗を喫してしまい、率いていた水軍は全滅してしまった。

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義絶―関羽

 関羽、字は雲長は、『三国志』中でも非常に人気のある人物の一人です。
 劉備が旗揚げした頃から仕え、張飛とともにその護衛官のような役割を務めていました。その関係性は、『三国志』蜀書・関羽伝に「恩は兄弟の如し」とあるように、非常に親密なものであり、そこから小説『三国志演義』では、劉備関羽張飛の三人は義兄弟として描かれています。
 清の毛宗崗は『三国志演義』には、三絶(三人の傑出した人物)が登場すると述べています。すなわち「智絶」の諸葛亮、「奸絶」の曹操、そして「義絶」の関羽の三名です。とりわけ関羽は義と人情の人として、古くから民間ではたいへん敬愛され、さまざまなエピソードが語り継がれていたと思われます。『三国志演義』においても、生涯にわたって焦点が当てられ、準主役級の活躍をしていると言えるでしょう。

 その中でも特に有名なエピソードが「関羽千里行」です。

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南史演義 巻2ー7

 話は変わって、相王司馬道子(しばどうし)の世子元顕(げんけん)は、十六歳であったが、非常に聡明で政治にも明るく、気力も盛んで鋭かった。常に朝廷が地方の諸侯の掣肘を受けていることを憂い、しばしば父に早くそれらの対策を謀るよう勧めていた。そこで道子は元顕を拝して驃騎将軍とし、その衛府の兵士、及び徐州の文武の官を彼に従わせ、国政に加わらせた。元顕は大任に当たり、譙王(しょうおう)の司馬尚之(しばしょうし)とその弟の休之(きゅうし)を腹心とし、張法順(ちょうほうじゅん)を謀主とし、司馬の王愉(おうゆ)を江州刺史兼督予州四郡として、軍事上の援護とした。

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除夜の作

 今日は大晦日です。

  除夜作     高適(こうせき)
旅館寒灯独不眠   旅館の寒灯 独り眠らず
客心何事転悽然   客心 何事ぞ 転(うた)た悽然
故郷今夜思千里   故郷 今夜 千里を思ふ
霜鬢明朝又一年   霜鬢 明朝 又一年

 

 旅館の寒々とした灯火の下で、独り寝つけない。旅人の心はどうしたことか、ますます悲しみに沈んでいく。故郷の人々は、今夜、千里彼方にある私のことを思ってくれていることだろう。鬢は霜が降りたように白くなったが、明日の朝にはまた一つ年を取ってしまうのだ。

 

※[霜鬢]「鬢」は頭の両側の髪。それが白くなったことをいう。

 この高適の詩は詩題のとおり、除夜、すなわち大晦日の夜に詠われたものです。当時は数え年ですので、新年の正月を迎えるたびに一つ年を取ることになっており、それが末句の意味するところです。

 どこで詠われたものであるかは定かではありませんが、本来は故郷で家族と過ごすべき大晦日を、旅の途上で迎えた寂しさがひしひしと伝わってきます。