秋日

 秋日   耿湋
反照入閭巷      反照 閭巷(りょこう)に入(い)
憂来与誰語      憂ひ来たりて誰とか語らん
古道無人行      古道 人 行くこと無く
秋風動禾黍      秋風 禾黍(かしょ)を動かす

  

 夕陽が小さな村里に差し込んでいる。憂いがつのってきたが、この思いを誰と語り合えばよいのか。古い道には人の往来も無く、ただ秋風が稲や黍の穂を吹き動かしているばかり。

  

※[反照]傾いた夕陽。 [閭巷]小さな村里。 [禾黍]稲や黍。

 

 作者耿湋(こうい)は、日本ではあまり知られていない詩人ですが、この詩は『唐詩選』にも収められており、比較的有名な作品です。
 秋の夕暮れ時、愁いに沈む様子を詠ったもので、とりわけ転句、結句の描写――人気のない古道で秋風だけが吹いているという風景は、まさに秋の寂寥感を強く抱かせるものと言えるでしょう。
 また後半のこの二句は、松尾芭蕉の以下の有名な俳句に影響を与えたとも言われます。

この道や行く人なしに秋の暮れ

 実際のところはどうか分かりませんが、人のいない静かな秋の道には、詩人たちの感興を呼び起こす何かがあるのでしょう。

 f:id:chugokubungaku:20151129185703j:plain

秋風引

 すっかり秋になりました。そこで秋の詩を一つ。

 秋風引   劉禹錫
何処秋風至      何れの処よりか秋風至り
蕭蕭送雁群      蕭蕭として雁の群を送る
朝来入庭樹      朝来 庭樹に入り
孤客最先聞      孤客 最も先に聞く

 

 どこからともなく秋風が吹いてきて、ひゅうひゅうと音を立てて雁の群を送っていく。明け方、この風が庭の樹に吹き付けてきたが、孤独な旅人である私が誰よりも早くそれを聞いたのだ。

  これは秋風を詠った有名な作品です。その作詩背景は不明ですが、おそらく作者である劉禹錫が、中央から左遷された旅の途上で作られたものではないでしょうか。
 この中の「蕭蕭」とは風の吹く音の形容ですが、漢代の無名氏の「古歌」に「秋風 蕭蕭として人を愁殺す」とあり、人の憂いを一層引き立てる音でもあります。この詩の中に、直接的な心情描写はありませんが、秋風、雁、孤客(旅人)の三者を巧みに連ね、秋のもの寂しさを見事に描き上げた作品となっています。

 

二千里外 故人の心

 先日はスーパームーンでした。そこで十五夜の月を詠った詩を一つ。

 八月十五日夜禁中独直対月憶元九
                  八月十五日夜 禁中に独り直し月に対して元九を憶ふ

                            白居易

  銀台金闕夕沈沈  銀台 金闕 夕に沈沈たり
  独宿相思在翰林  独り宿し相ひ思ひて 翰林に在り
  三五夜中新月色  三五夜中 新月の色
  二千里外故人心  二千里外 故人の心
  渚宮東面煙波冷  渚宮(しょきゅう)の東面 煙波冷たく
  浴殿西頭鐘漏深  浴殿の西頭 鐘漏(しょうろう)深し
  猶恐清光不同見  猶ほ恐る 清光 同じくは見ざるを
  江陵卑湿足秋陰  江陵は卑湿(ひしつ)にして 秋陰足る

 ここ長安の美しい宮殿では静かに夜が更けていく。独り翰林院で宿直しつつ君のことを思う。十五夜の出たばかりのこの月を、二千里離れた友人はどのような心で見ているだろう。渚宮の東では河面に夜霧が冷たく立ちこめていることだろう。この長安の浴殿の西では時を告げる鐘の音や漏刻の音が遠く聞こえてくる。心配なのは、この清らかな月の光を君が同じように見ていないのではないかということ。江陵は低湿の地で秋の曇りが多いということだから。

※[元九]白居易の友人元稹(げんじん)をいう。 [銀台金闕]美しい宮殿。都長安の宮殿。 [沈沈]夜が更けていくさま。静かなさま。 [翰林]翰林院。皇帝の側近の詰所。 [渚宮]江陵にある宮殿の名。元稹のいる地を指す。 [浴殿]長安の宮殿。白居易のいる地を指す。 [鐘漏]時を告げる鐘と水時計。 [卑湿]低地で湿気が多いこと。

 月、とりわけ十五夜の月は、同じ月を眺めているだろうという想像から、遠くにいる人と自分とを結ぶものとして、しばしば詩に詠われます。

続きを読む

槊を横たえて詩を賦す ― 詩人曹操

 魏の武帝曹操は実は詩人としても傑出した人物でした。今日はその詩を紹介します。

  短歌行  曹操
対酒当歌  酒に対して当に歌ふべし
人生幾何  人生 幾何(いくばく)
譬如朝露  譬へば朝露の如く
去日苦多  去る日は苦(はなは)だ多し
慨当以慷  慨(がい)して当に以て慷(かう)すべし
憂思難忘  憂思 忘れ難し
何以解愁  何を以てか愁ひを解かん
唯有杜康  唯だ杜康有るのみ
 

  酒を飲んだらさあ歌おう。人生はどれだけあると言うのか。それは例えば朝露のようなもの。過ぎゆく日々は非常に多い。思わず感情が高ぶってきて、憂いを忘れることもできない。どうやってその憂いを晴らせば良いのか。それはただ杜康だけなのだ。

※[杜康]初めて酒を作ったとされる伝説上の人物で、転じて酒を言う。 

  まず酒を前にして人生のはかなさを嘆き、その憂いを晴らすのはこの酒だけであると詠います。

 

続きを読む

蜀相

 蜀相  杜甫

丞相祠堂何処尋  丞相の祠堂 何れの処にか尋ねん

錦官城外柏森森  錦官(きんかん) 城外  柏 森森たり

映階碧草自春色  階に映ずる碧草は 自(おのずか)ら春色

隔葉黄鸝空好音  葉を隔つる黄鸝(こうり)は 空しく好音

三顧頻繁天下計  三顧 頻繁なり 天下の計

両朝開済老臣心  両朝 開済す 老臣の心

出師未捷身先死  出師 未だ捷(か)たずして 身 先づ死し

長使英雄涕満襟  長く英雄をして 涕(なみだ) 襟に満たしむ

 

 蜀の丞相諸葛亮の祠堂はどこに尋ねたらよいか。それは錦官城の外、柏の生い茂るところである。きざはしに映える青草は、春の色そのままに美しく、葉陰のウグイスは、聞く人もいないのに良い声で鳴いている。かつて劉備は足繁く三度も彼のもとを訪れて、天下の計を尋ね、孔明はそれにこたえ、劉備父子二代にわたり老臣としての心を尽くして仕えて苦難を切り開いた。しかし魏を討つ戦をおこして勝てぬままに、その身は先に死んでしまい、長く後世の英雄たちに涙を襟元いっぱいに流させているのだ。

 

※[錦官城]蜀の成都にあった城。 [黄鸝]ウグイス。 [両朝]二代の意。劉備とその子劉禅を指す。 [開済]苦難を切り開き、切り抜ける。 [出師]出陣する。建興五年(二二七)、諸葛亮は蜀の後主劉禅に「出師の表」を奉り、魏を討伐するために出陣した。その後、五回にわたって軍を率いて北伐を繰り返したが、魏の司馬懿に阻まれて勝利を収めることができず、陣中に没した。

 杜甫、字は子美(七一二~七七〇)は、詩聖とも称される中国を代表する詩人ですが、彼は諸葛亮を非常に敬愛していた人物としても知られています。蜀、あるいは諸葛亮を詠った詩を多く残していますが、この「蜀相」はその代表とも言える作品です。

 諸葛亮の祠堂は中国全土にありますが、その中でも最も有名なものが成都にあり、もとは劉備の墓陵だったところに、後に諸葛亮の祠堂を側らに造営し、さらに子の劉禅や他の家臣も多く祭られるようになりました。ただし劉禅については亡国の君主ということで、南宋の頃に廃祀されたようです。

 

 この詩は、「三顧の礼」「天下三分の計」「出師表」など今もよく知られる諸葛亮にまつわるさまざまなエピソードを取り入れていますが、とりわけ最後の二句からは、志半ばにして倒れた彼に対する深い哀惜の念がうかがえるでしょう。

 

bukoushi.jpg