酒を把りて月に問ふ
把酒問月 酒を把(と)りて月に問ふ 李白
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青天有月来幾時 青天 月有りて来(このか)た幾時ぞ
我今停杯一問之 我 今 杯を停めて一たび之に問ふ
人攀明月不可得 人 明月を攀(よ)づるも得(う)べからず
月行却与人相随 月行 却(かえ)って人と相ひ随ふ
皎如飛鏡臨丹闕 皎として飛鏡の丹闕(たんけつ)に臨むが如く
緑煙滅尽清輝発 緑煙 滅し尽くして 清輝 発す
但見宵従海上来 但だ見る 宵に海上より来たるを
寧知暁向雲間没 寧(なん)ぞ知らん 暁に雲間に向ひて没するを
白兔擣薬秋復春 白兔 薬を擣(つ)きて 秋 復た春
姮娥孤棲与誰隣 姮娥(こうが) 孤(ひと)り棲みて 誰と隣ならん
今人不見古時月 今の人 古時の月を見ず
今月曽経照古人 今の月 曽経(かつ)て古人を照らす
古人今人若流水 古人今人 流水の若く
共看明月皆如此 共に明月を看ること 皆 此(かく)の如し
唯願当歌対酒時 唯だ願ふ 歌に当たり酒に対するの時
月光長照金樽裏 月光 長(とこし)へに金樽の裏(うち)を照らさんことを
月下独酌
月下独酌 李白
花間一壷酒 花間 一壺の酒
独酌無相親 独り酌みて相ひ親しむ無し
挙杯邀明月 杯を挙げて明月を邀(むか)へ
対影成三人 影に対して三人と成る
月既不解飲 月は既に飲むを解せず
影徒随我身 影は徒らに我が身に随ふ
暫伴月将影 暫く月と影とを伴にし
行楽須及春 行楽 須(すべか)らく春に及ぶべし
我歌月裴回 我 歌へば月は裴回し
我舞影零乱 我 舞へば影は零乱す
醒時同交歓 醒むる時 同に交歓するも
酔後各分散 酔ひて後 各おの分散す
永結無情遊 永く結ぶ 無情の遊
相期邈雲漢 相ひ期す 邈(はる)かなる雲漢に
花咲く樹々のもと一壺の酒を置き、独りで酌んで飲むだけで親しい者は誰もいない。杯をかかげて明月を迎え、自分の影と合わせて三人となった。しかし月は飲むことはできないし、影はただ私にくっついているだけ。しばらく月と影とを相手にして、春が過ぎぬうちに楽しむとしよう。私が歌うと月は行きつ戻りつし、私が舞うと影もゆらめく。まだ醒めている間はこのように一緒に楽しんでも、完全に酔ってしまえばそれぞればらばらなってしまうだろう。しかし永遠にこの無情の友との交遊を結び、遥かなる天の川での再会を約束しよう。
※[将]「与」に同じ。~と。 [及春]春が過ぎないうちに。 [裴回]徘徊に同じ。ここでは月が動くさまをいうか。 [零乱]乱れるさま。ここでは影が揺らめくさま。 [交歓]互いにうち解け合う。一緒に楽しむこと。 [無情]有情の人間に対して、自然物を指して無情という。 [遊]交わり。 [期]再び会うことを約束する。 [雲漢]天の川。
李白は月を愛した詩人として知られますが、それが端的に表れているのがこの詩でしょう。
春の林の夜、ひとり酒を飲む李白。他に誰もいない中、月と自分の影とを相手にして楽しみます。そのこと自体は必ずしも目新しいものではありませんが、李白は月と影と自分とを合わせて「三人」と成ったと詠います。これは自分と月と影とを対等なものと見なす表現であり、その感性はとても常人ものではないと思います。
そしてしだいに酔っていく李白は、これら月と影といった「無情」の友と、「雲漢」での再会を約束します。彼の精神は地上を離れ、はるか天上世界へと飛んでいくのです。
非常に幻想的・超俗的な詩であり、詩仙李白の真骨頂でと言えるでしょう。