義絶―関羽
関羽、字は雲長は、『三国志』中でも非常に人気のある人物の一人です。
劉備が旗揚げした頃から仕え、張飛とともにその護衛官のような役割を務めていました。その関係性は、『三国志』蜀書・関羽伝に「恩は兄弟の如し」とあるように、非常に親密なものであり、そこから小説『三国志演義』では、劉備、関羽、張飛の三人は義兄弟として描かれています。
清の毛宗崗は『三国志演義』には、三絶(三人の傑出した人物)が登場すると述べています。すなわち「智絶」の諸葛亮、「奸絶」の曹操、そして「義絶」の関羽の三名です。とりわけ関羽は義と人情の人として、古くから民間ではたいへん敬愛され、さまざまなエピソードが語り継がれていたと思われます。『三国志演義』においても、生涯にわたって焦点が当てられ、準主役級の活躍をしていると言えるでしょう。
その中でも特に有名なエピソードが「関羽千里行」です。
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今日は大晦日です。
除夜作 高適(こうせき)
旅館寒灯独不眠 旅館の寒灯 独り眠らず
客心何事転悽然 客心 何事ぞ 転(うた)た悽然
故郷今夜思千里 故郷 今夜 千里を思ふ
霜鬢明朝又一年 霜鬢 明朝 又一年
旅館の寒々とした灯火の下で、独り寝つけない。旅人の心はどうしたことか、ますます悲しみに沈んでいく。故郷の人々は、今夜、千里彼方にある私のことを思ってくれていることだろう。鬢は霜が降りたように白くなったが、明日の朝にはまた一つ年を取ってしまうのだ。
※[霜鬢]「鬢」は頭の両側の髪。それが白くなったことをいう。
この高適の詩は詩題のとおり、除夜、すなわち大晦日の夜に詠われたものです。当時は数え年ですので、新年の正月を迎えるたびに一つ年を取ることになっており、それが末句の意味するところです。
どこで詠われたものであるかは定かではありませんが、本来は故郷で家族と過ごすべき大晦日を、旅の途上で迎えた寂しさがひしひしと伝わってきます。
秋日
秋日 耿湋
反照入閭巷 反照 閭巷(りょこう)に入(い)る
憂来与誰語 憂ひ来たりて誰とか語らん
古道無人行 古道 人 行くこと無く
秋風動禾黍 秋風 禾黍(かしょ)を動かす
夕陽が小さな村里に差し込んでいる。憂いがつのってきたが、この思いを誰と語り合えばよいのか。古い道には人の往来も無く、ただ秋風が稲や黍の穂を吹き動かしているばかり。
※[反照]傾いた夕陽。 [閭巷]小さな村里。 [禾黍]稲や黍。
作者耿湋(こうい)は、日本ではあまり知られていない詩人ですが、この詩は『唐詩選』にも収められており、比較的有名な作品です。
秋の夕暮れ時、愁いに沈む様子を詠ったもので、とりわけ転句、結句の描写――人気のない古道で秋風だけが吹いているという風景は、まさに秋の寂寥感を強く抱かせるものと言えるでしょう。
また後半のこの二句は、松尾芭蕉の以下の有名な俳句に影響を与えたとも言われます。
この道や行く人なしに秋の暮れ
実際のところはどうか分かりませんが、人のいない静かな秋の道には、詩人たちの感興を呼び起こす何かがあるのでしょう。
秋風引
すっかり秋になりました。そこで秋の詩を一つ。
秋風引 劉禹錫
何処秋風至 何れの処よりか秋風至り
蕭蕭送雁群 蕭蕭として雁の群を送る
朝来入庭樹 朝来 庭樹に入り
孤客最先聞 孤客 最も先に聞く
どこからともなく秋風が吹いてきて、ひゅうひゅうと音を立てて雁の群を送っていく。明け方、この風が庭の樹に吹き付けてきたが、孤独な旅人である私が誰よりも早くそれを聞いたのだ。
これは秋風を詠った有名な作品です。その作詩背景は不明ですが、おそらく作者である劉禹錫が、中央から左遷された旅の途上で作られたものではないでしょうか。
この中の「蕭蕭」とは風の吹く音の形容ですが、漢代の無名氏の「古歌」に「秋風 蕭蕭として人を愁殺す」とあり、人の憂いを一層引き立てる音でもあります。この詩の中に、直接的な心情描写はありませんが、秋風、雁、孤客(旅人)の三者を巧みに連ね、秋のもの寂しさを見事に描き上げた作品となっています。