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南史演義 巻4-5

 さて一方、この同じ日、孟昶(もうちょう)青州にあり、桓宏(かんこう)に出猟するように勧め、その許可を得ていた。まだ夜が明けぬうちに門を開かせると、猟に出るはずの孟昶、劉毅(りゅうき)、劉道規(りゅうどうき)らは、壮士数十人を率い、間隙に乗じて突入した。桓宏はちょうど粥を食べていたが、劉毅等がやってくるのを見ると、箸を投げて立とうとしたが、道規がその直前に彼を斬った。左右は大いに乱れ、数人を殺してようやく止まった。

  劉毅はその首を持ち、外に出て人々に示して言った。「詔を奉じて逆賊を誅す!これに背く者は死あるのみ!」兵士らは甲冑を身につけ戦おうとしたが、劉道規は首を揺らしてこれを止めて言った。「朝廷の大軍がすぐにやって来る、卿等、一族滅ぼされてはなるまいぞ。」青州の兵士はもともと劉道規に畏服しており、そのまま散じて走っていった。そこで劉道規を留めて広陵を守らせ、兵を収めて長江を渡り、劉裕軍と合流した。

 

 丁巳(ていし)、劉裕は青州京口の兵一千七百人を率いて竹里(ちくり)に軍を進め、さらに共に桓玄を討とうと四方に檄を飛ばした。桓玄は京口に乱が起こったことを聞き、怒って言った。「無頼の賊どもが!すぐに討ち果たしてやる!」ついで首謀者は何者かと問うた。左右は言った。「劉裕です。」聞くと思わず色を失った。またその他を問うた。「劉毅(りゅうき)、何無忌(かむき)です。」さらに恐れおののいた。

 左右の者は言った。「劉裕等は烏合の衆で兵も少なく、とても成功するとは思えません。陛下は何をそんなに心配されるのですか?」桓玄は言った。「劉裕は一世の雄と言って良い。劉毅は家にわずかの蓄えなくとも、樗蒲(ちょぼ)を一たび投げ打って百万金を得られるほどの者。何無忌はその叔父の劉牢之(りゅうろうし)に非常によく似ておる。彼らがともに大事を挙げるのだ。どうして成功しないなどと言えるのか。」そこで桓謙(かんけん)に命じて征討大都督とし、覆舟山(ふくしゅうざん)に軍を留めてこれを待ち受けさせ、軽々しく進まないよう戒めた。

 ところで王玄徳(おうげんとく)らは外ですでに事が起こっていることを探り得て、都の軍が出征するのを待って、夜に兵士を関内に伏せ、火を放って宮室を焼き、その混乱に乗じて攻め寄せ、桓玄を殺そうと考えていた。しかし劉邁(りゅうまい)がためらっている間に事が泄れ、劉邁及び王玄德、辛扈興(しんここう)、童厚之(どうこうし)らはみな殺され、元徳の弟の王仲德(おうちゅうとく)だけが逃れることができた。

 桓謙は兵を進めて劉裕を討たんことを請うた。桓玄は言った。「彼の兵は精鋭であり、万死をもいとわない。こちらから攻めていって緒戦でくじかれると、すなわち彼らの意気は盛んとなり、我らは敗れるだろう。しかし彼らが二百里を進んでも対すべき敵もなければ、いつしかその鋭気も萎えよう。そこでたちまち大軍を見れば、必ず驚き恐れるはず。そして我らは兵を止め陣を堅く守り、戦うことはせぬ。彼らが戦をしようにもできなければ、自然と敗走するだろう。これが上計である。」

 桓謙は言った。「賊兵は起こったばかりで、これを討てばたやすく滅ぼせます。しかし時間を与えると、やつらはその間に力を養うことになり、これを討つことはますます難しくなります。すぐに急撃すべきです。時機を失ってはなりません。」桓玄はやむを得ずこれに従い、左衛将軍呉甫之(ごほし)、右衛将軍皇甫敷(こうほふ)を遣わして、兵を率いさせ相次いで北上させた。二人はともに万人に敵うと称されていた桓玄の勇将であり、そのため先鋒としたのである。