南史演義 巻3-8

 一方、劉牢之(りゅうろうし)は兵を退いて以降、人心を大いに失い、威望も激しくそこなわれ、心中非常に悔いていた。そしてある日、劉牢之を会稽内史に任ずる詔が下ると、彼は大いに懼れた。「こうなっては我が兵が奪われてしまう。禍が迫ってきた!」この時、劉敬宣(りゅうけいせん)は京にあったが、桓玄は劉牢之が命を受けないことを恐れ、彼を帰して諭させた。敬宣は帰って父に言った。「桓玄は測ることのできぬ大きな志を抱いています。父上の功名を深く憎んでおり、決して容れられることはありません。どういたしましょうか。」劉牢之「私は自身の愚の報いを受けた。今はとりあえず江北に行き、そこで事を謀ろうと思う。おまえは京口に行って、すみやかに一族を連れて来い。」敬宣は命を受けて去った。

 また劉牢之は、ためらいつつ劉裕に言った。「先日、そなたの言を聴かなかったが、今更これを悔いても仕方ない。今、事態は急を要す。わしは広陵(こうりょう)の高雅之(こうがし)のところに行き、兵を挙げて社稷を正そうと思う。卿もわしについて来ぬか。」劉裕「将軍は強兵数万を持ちながら、敵の威風を見て降伏いたしました。桓玄は新たに志を得て、その威は天下を震わせています。朝野の人心も皆すでに去っています。私も彼に服して京口に還ろうと思います。公に従って行くことはできません。」劉牢之は黙ったままだった。

 劉裕が退くと、何無忌(かむき)が彼に問うて言った。「私はどうすれば良いでしょう?」劉裕「私が見るところ、劉鎮北〔劉牢之〕は必ず敗北を免れまい。卿は彼と死をともにすることはない。私と京口に還るのが良かろう。ゆっくりと時勢を見、桓玄がもし臣下としての節を守るなら、ともに彼に仕えよう。そうでなければ、そこで対策を謀ろうではないか。」何無忌「よろしいでしょう。」二人はそのまま何も告げずに去っていった。

 劉牢之は劉裕と何無忌が去ったことを知り、兵の心が変わることを恐れ、そこで幕僚を集めて言った。「桓玄は簒逆を企んでいる。わしは兵を整えて長江を渡り、そこで事を起こそうと思う。願わくは諸君とこの功名を共にしたいものだ。」一同は愕然としたが、参軍の劉襲(りゅうしゅう)が言った。「およそ人のなすことで、背くことより悪しきことはありません。将軍はかつて王兗州(おうえんしゅう)〔王恭〕に背き、近ごろ司馬郎君〔司馬元顕〕に背き、今また桓公に背こうとしています。一人で三たび背く方が、どうして自立などできましょうか?」語り終わると走り去って行き、幕僚も多くが散じていった。劉牢之はどうすることもできなかった。

 また劉敬宣も帰ってこず、軍中では、桓玄側に事が漏れ、敬宣もすでに害されたと流言が飛んでいた。劉牢之はますます慌てふためき、そこで一部の兵を率いて北へと走った。しかし兵士は次第に散じていき、新州(しんしゅう)に至った時には、わずかに近衛兵数人を残すのみであった。劉牢之はもはやなすすべがないと知り、天を仰いで嘆いて言った。「わしは長江を渡っても皆に会わせる顔がない!」そのまま縊死してしまった。後人が詩を作って彼を悼んだ。

 江北江南 路(みち)の投ずる無く
 大軍百万 荒陬(こうすう)に喪う
 当時 若し桓玄を把(と)りて滅ぼせば
 北府の勲名 孰(たれ)か与(とも)に侔(ひと)しからん

 

 ところで劉敬宣が一族を連れて班瀆(はんとく)に帰ってくると、軍はすでに北に去っていた。すぐに彼も北に向かったが、二十里と行かぬうちに、誰か馬を飛ばしてやって来た。何とそれは劉牢之に従っていた近衛兵であり、敬宣を見ると、大いに嘆き悲しんで言った。「三軍はことごとく散じてしまい、劉将軍はすでに縊死されました。朝廷も兵を遣わして、ご一族を捕らえようとしているそうです。公子もすみやかに江北に行かれ、急ぎ危難を避けられますように。」

 劉敬宣はこの知らせを聞くと、魂を失いそうになったが、まだ一族を守らねばと思い、夜のうちに長江を渡って広陵に向かった。幸いにも間道を通ることができ、また桓玄の命令も届いていなかったため、道中はばむものは無かった。

 そして広陵にたどり着くと、守将の高雅之に泣きながら諸事を訴え、父の報復を謀ろうとした。高雅之は言った。「もし仇を討とうとお考えなら、広く兵力を集めるべきです。広陵の兵だけでは事をなすには足りないでしょう。現在、北府の旧将は、江北にある者も多いので、彼らとともに事を起こしましょう。」そこで四方に使者を遣わし、広く同志を集めた。これに応じて、劉軌(りゅうき)、劉寿(りゅうじゅ)、司馬休之(しばきゅうし)、袁虔之(えんけんし)、高長慶(こうちょうけい)、郭恭(かくきょう)等が、広陵へとやって来た。そして劉敬宣を盟主とし、ともに山陽に拠って兵を起こし、桓玄を討伐しようとした。

 この知らせはすぐに都に伝わり、これを聞いて桓玄は激怒した。「鼠どもがこのようなことをするとは!」即座に大将郭銓(かくせん)に命じて兵一万を率いさせ、数人の勇将とともに、堂々と攻め寄せていった。この時、山陽の軍はまだ十分な備えができておらず、数千の兵馬があるとはいえ、ほとんど烏合の衆であった。彼らはどうやってこれを防ぐのであろうか。続きは次の講釈を待て。