読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

関羽と曹操

三国志

 以前、関羽曹操の関係について少し述べましたが、『三国志演義』においてこの二人の関係(因縁と言って良いかもしれません)は一つの重要な要素です。

 関羽曹操が初めて会ったのは、第5回です。

 漢末の混乱に乗じて権力を握り、都で横暴の限りをつくす董卓の軍と、それを討伐しようとする曹操袁紹ら十八諸侯の連合軍が汜水関で激突します。その際、諸侯軍がさんざんに苦しめられた董卓軍の勇将華雄を、一騎打ちで見事討ち取ったのが関羽です。しかし関羽が出陣する前に、袁紹ら諸侯はその身分が低いことで侮り、一騎打ちに行かせることを拒みます。その中で唯一、曹操だけが関羽の堂々たる姿を見て、彼を送り出したのです。
 地位や身分にこだわらず、その才のみを重視する曹操の姿勢が見て取れますが、おそらくこの時、曹操関羽に惚れ込んだのではないでしょうか。

 さてその後、曹操関羽が深く関わるのは以前述べた「関羽千里行」の場面です。

 この場面で、関羽曹操に厚遇されながらも、劉備に対する忠節を忘れぬ義の人としてのイメージが決定づけられます。一方の曹操も、関羽をそのまま劉備のもとに行かせるという度量を示します。

 そしてこの時のことが、後に大きな影響を及ぼします。

  その後しばらく曹操関羽が関わることはなく、話は赤壁の戦いの後、『三国志演義』第50回へと移ります。

 この戦いで大敗した曹操は、荊州の南郡へと落ち延びますが、その途中、孔明の指図を受けた趙雲張飛らの軍に散々に打ちのめされます。そして身も心もぼろぼろになった時、やはり孔明の指示を受けた関羽曹操の前に現れます。

 曹操はその言に従い、馬を前に進め、身をかがめて言った。「将軍、一別以来つつがないか。」雲長もまた身をかがめて答えた。「それがし、軍師の命を奉じて、長らく丞相をお待ちしておりました。曹操「わしは戦に敗れてここに至り、ほかに路もない。将軍が昔の情誼を重んじてくれるのを望むばかりじゃ。」雲長「昔日、それがし、丞相の厚恩をこうむりましたとはいえ、顔良文醜を斬り、白馬の危難を解いたことで、それに報いたものと存じます。今日、どうして私事をもって公事を捨てることができましょうか。」曹操「おぬしが五関の将を斬ったこともまた覚えておられるか。大丈夫たるもの、信義を重しとされよう。将軍は『春秋』の書にも明るいと聞く。庾公子斯が子濯孺子を追った故事をご承知であろう。」

 雲長はもとより義を山よりも重しとする者、かつて曹操より受けた許多の恩義、また後に五関の将を斬ったことなどを思い起こし、どうして心が動かされないことがあろうか。また曹軍のうろたえたさま、涙を流している様子を見れば、心中とても忍びない。そして馬の首をかえして、供の兵に「少し散開せよ」と言った。これは明らかに曹操を逃そうとする意思である。曹操は雲長が馬をめぐらしたのを見ると、一斉に大将らと通り過ぎようとした。雲長がふり返ったとき、曹操軍はすでに過ぎ去っていた。雲長が一声発すると、曹軍の諸将はみな馬を下り、地に拝して涙を流した。雲長はますます手を出すに忍びず、ためらっている間に、張遼が馬を走らせてやって来た。雲長は彼を見ると、またも昔なじみの情に動かされ、長く嘆息すると、皆見逃してやった。後の人が詩に言う。

 曹瞞兵敗走華容  曹瞞 兵敗れ 華容に走り
 正与関公狭路逢  正に関公と狭路に逢ふ
 只為当初恩義重  只だ当初の恩義重しと為し
 放開金鎖走蚊龍  金鎖を放ち開きて 蚊龍を走らす

 曹操関羽に対して、以前かけた恩をよすがにここを見逃してほしいと訴えます。関羽は大いに悩みますが、ついに曹操を討つことはできず、そのまま見逃してしまいます。義と人情の人である関羽らしい対応と言えるでしょう。

 なお、関羽は軍師孔明の命を受けて、曹操を討つためにやって来たのですが、実は孔明関羽が情にほだされて曹操を討てないと分かっていました。孔明は、天文を見て曹操の命運が尽きていないことを知っていたため、あえて関羽を送り、その恩を返させたのです。さらに命を果たせなかった関羽を処罰しようとすることで、軍規の厳しさを知らしめることにもなりました。この場面では、関羽の義に厚い人となりに加え、それをうまくコントロールする孔明の慧眼が冴えわたるのです。

 

 さて、関羽曹操の因縁はもう少し続きます。

 やがて三国鼎立が完成すると、関羽荊州方面の総司令官となり、兵を率いて北上し、魏軍を大いに撃ち破り、その威は中原を震わします。そのため曹操は都を移してその矛先を避けようとするほどでした。

 ですがその後、魏と手を結んだ呉の呂蒙陸遜の計に敗れた関羽は、ついに麦城にて捕らわれ、孫権によって処刑されます。その首は曹操のもとに送られますが、それを見た曹操は笑って「雲長どの、一別以来、つつがないか」と語りかけます。これは実は先の華蓉道での台詞とほぼ同じです。

 するとやおら関羽の首は目を見開き、ひげや髪も逆立ったので、曹操は驚いて卒倒します。目を覚ました曹操は、「関将軍はまことの天神じゃ」と言い、彼を王侯の礼をもって葬ります。

 しかしその後も夢に関羽が現れ、曹操は恐懼し、悩まされます。そしてやがてそれが彼の死へとつながっていくのです。

 

 義絶関羽と奸絶曹操の因縁、それが三国志の物語を盛り上げる大きな要素の一つとなっているのは間違いないでしょう。