南史演義 巻4-3

 桓修(かんしゅう)が任地に帰る際、劉裕もともに帰るべきところであったが、戦の傷が痛んで馬に乗れないと理由をつけ、何無忌(かむき)とともに同じ船で帰ることとし、ひそかに桓玄打倒の計を練った。京口に帰ると、たまたま孟昶(もうちょう)も家に還っており、劉裕を訪ねてきた。劉裕は彼に言った。「草間より英雄が起こるという。卿は聞いているか?」孟昶は言った。「今日、英雄が誰かと言えば、まさしくあなたです。」劉裕は大いに笑い、ともに大計を謀り、ひそかに義を結んだ。

続きを読む

南史演義 巻4-2

 元興二年(403)十二月丁丑(ていちゅう)、群臣が入朝し、帝に正殿にて手ずから禅譲の詔を書くよう求めた。帝はやむを得ず司徒王謐(おうひつ)を遣わして玉璽を奉り、楚に帝位をお譲りになった。そして帝は位を降り、江州の雍安宮に移られた。百官は楚王府にやって来て賀を述べた。

続きを読む

南史演義 巻4-1

第四巻

 京口鎮に群雄は聚義し 建康城に偽主は潜逃す


 さて、劉敬宣(りゅうけいせん)は山陽に拠って、兵を集めて報復を謀ろうとしていた。そこに征討軍がやって来ると聞き、慌てて諸将とともに兵馬を整えて敵を迎え撃った。しかし兵はまだ十分修練もされておらず、闘志もなく、軍がぶつかると、たちまち四方に散じてしまった。進んで戦うこともできず、退いて守ることもできず、城を棄てて逃げるしかなかった。そして劉敬宣、司馬休之(しばきゅうし)、劉軌(りゅうき)後燕(こうえん)に亡命し、高雅之(こうがし)、袁虔之(えんけんし)等は後秦(こうしん)に奔った。

続きを読む

春風―白居易

 春風  白居易
春風先発苑中梅  春風 先に発(ひら)く 苑中の梅
桜杏桃梨次第開  桜  杏  桃  梨 次第に開く
薺花楡莢深村裏  薺花(せいか)  楡莢(ゆきょう) 深村の裏(うち)
亦道春風為我来  亦(ま)た道(い)ふ 春風 我が為に来たると


 春風はまず御苑の中の梅を咲かせ、その後、桜、杏、桃、梨の花を次々と開かせていく。一方、ナズナの花、楡のサヤが開く奥深い村では、春風が我々のために吹いてくれたと村人たちは喜んでいる。


  ※[苑中梅]宮中の御苑の梅。 [桜杏桃梨]いずれも御苑の中の花。 [薺花楡莢]ナズナの花に楡のサヤ。村里に生えるもの。

 

 春の風と言えば、東から吹いてきて万物をはぐくむ風として知られています。

 日本では菅原道真の「東風(こち)吹かば にほいをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな」という短歌が有名ですね。

 

 さて、この白居易の詩では春の花を開かせる風が描かれます。やはり万花に先駆けて咲く梅の花が最初に挙げられ、その後で桜、杏、桃、梨が次々と咲いていきます。これらはいずれも宮中の御苑にある花です。

 その後、ナズナや楡など村里の野草を開かせる風が描かれますが、これは宮中であろうと村里であろうと、どこでも春風は平等に吹いてくることを詠っているのです。そして村里の人々は、他でもない、自分たちのために春風が吹いてくれたと喜びあっています。

 春風が吹くのを喜ぶ気持ちがよく伝わってくる詩だと思います。

一枝の春

三月になり春めいてきました。

そこでこのような詩を。

 贈范曄  范曄(はんよう)に贈る
              陸凱(りくがい)
折花逢駅使   花を折りて駅使に逢ふ
寄与隴頭人   隴頭(ろうとう)の人に寄与せん
江南無所有   江南に有る所無し
聊贈一枝春   聊(いささ)か一枝(いっし)の春を贈らん
     
 君のもとへ行く使者に逢い、花を折ってあずけた。隴頭の人に渡してほしいと。ここ江南の地には何もないが、とりあえず一枝の春を贈りたい。

※[范曄]398~445。字は蔚宗。南朝・宋の文人、歴史家。『後漢書』の著者として知られる。 [駅使]駅馬を使う公的な使者。 [隴頭]隴山のあたり。もとは西域の地名であるが、ここでは范曄のいる長安を指す。 


 作者は南朝・宋の陸凱という人物ですが、詳細については全く不明で、この詩だけで名が残っている人です。北方の長安にいる友人の范曄のもとに、何か贈り物をしたいが、このあたりには何もない。そこで梅の花を手折って、この詩とともに贈ったとされます。梅の花を指して「一枝の春」とは、なかなか洒落た表現だと思います。

 梅の花は春に先駆けて咲く花として知られます。春まだき北方の地にいる友人に対して、一足先にこの地に咲いた梅の花を、「一枝の春」として贈る陸凱の思いやりが感じられるでしょう。