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南史演義 巻1-3

南史演義

 ところで王恭(おうきょう)は、帝の崩御を聞き、夜中に飛び起きて都にやって来て、大いに哀しんだ。そして宮殿を仰ぎ見て嘆息した。「侫臣が跋扈(ばっこ)し、国事は日に日に乱れていく。たる木はまだ新しいのに、はやくも黍離(しょり)の嘆きを感じずにいられようか。」黍離とは『詩経』の篇名で、かつて栄えていた国家が滅び、黍畑になっていたことを嘆いた歌である。すなわち司馬道子が王国宝を信任し、要職に就けたことを非難したのである。そして道子・国宝を見るたびに声を激しくして彼らを責めたてた。二人は心中平らかならず、これを除くことも考えた。

 国宝は道子に説いて言った。「王恭は、その意気は高く他の人々を凌ぐものであります。彼が入朝する際に、兵を伏せてこれを殺し、後々の憂いを絶っておいた方が良いと思います。」しかし道子はおびえてそれを取り上げなかった。

 またある人が王恭に、まず国宝を誅殺し、後々の憂いから免れるべきであると勧めた。しかし王恭は決することができず、王珣にこれを謀った。王珣は言った。「国宝の罪過はまだ明らかではありません。今にわかにこれを誅殺すれば、必ず朝野の声望を失うでしょう。まして御身は強兵を擁しており、これを天子のお膝元で動かせば、それこそ反逆だと非難されてしまいます。私が思いますに、国宝らの悪事が天下に広まるのを待ち、しかる後に民心に従ってこれを除かれれば、憂いもなくなるかと存じます。」王恭はそこでとり止めた。

 冬月甲申、孝武帝は隆平陵に葬られた。王恭もまた任地に還っていった。これより道子はいよいよ憚ることがなくなり、日夜酒に溺れ、杯を手から離すことはなかった。二三の寵臣を除いては、来客があってもほとんど顔を合わせることもなくなった。

 ある日、一人の客人が謁見を求めてきた。道子はその者が何度も謁見を求めていたので、やむを得ずこれと会った。その人は、姓は桓、名は玄、字は敬道といい、桓温の庶子であった。その母馬氏は、かつて友人と夜に月明かりのもとで座っていると、流れ星が銅盆の水の中に落ちるのを見た。その光は二寸ほどの火の玉のようで非常に明るかった。友人ががそれを柄杓ですくおうとしたが、誰も取ることはできなかった。馬氏がそれをすくって飲みこむと、何か感じるところがあり懐妊したのである。そして桓玄が生まれるとき、光が部屋に満ちあふれ、人はこれを素晴らしい瑞祥だと思った。そのため小名を霊宝といった。乳母が何人かあったが、皆この子を抱いて後、桓温のところやって来て、普通の子よりも数倍も重いと言ったので、桓温は不思議なことだと思い、非常にこの子を愛した。そして臨終に際して、桓玄を後継者に指名し、南郡公の爵位を嗣がせた。

 彼が成長するに及び、その風貌は人並み外れて魁偉にして、人柄も気品にあふれ、広く芸術に長け、また文章にも優れていた。つねに豪勇を自認し、才知を自負し、朝廷のために役立ちたいと思っていた。しかし朝廷は、その父桓温が先代に簒奪を企んでいたこともあり、疑念を抱いて用いなかった。二十三歳で初めて太子洗馬となった。後に太元の末頃に地方に出て義興郡の太守となったが、志を得られず鬱々とし、高台に登って太湖を眺めながら嘆いて言った。「父は九州の諸侯であったというのに、子たる私はこの太湖の長にすぎない。どうすれば良いのだろうか。」そのまま官を辞めて国に帰った。そして上疏して訴えた。「どうか朝廷が、先臣(桓温)の勤皇の勲功を思いやっていただければ、臣もこれ以上は申し上げません。先帝(簡文帝)が即位され、今上陛下(孝武帝)がその後を継がれるに際して、率先して奉ってそれを支えたのは、いったい誰の功績だったのでしょうか。」しかしこの上疏は据え置かれたまま、何の返答もなかった。

 今、孝武帝崩御して新帝が即位し、司馬道子が国政に当たっているのを見て、桓玄は引き立てられることを願い、謁見にやって来たのだった。しかしこの時、道子はすでに酔っており、髪を乱して目を閉じ、昏々と眠っているかのようであった。そして桓玄が堂下にいたっても、道子はじっと座ったままだった。左右のものが告げた。「桓南郡が来られました。」道子は目を開いて側の者に言った。「桓温は晩年には賊になろうとしたが、その子はどうかな。」桓玄は地に伏して汗を流し、立ち上がることができなかった。長史の謝重が笏をあげて答えた。「故宣武公は、昏君をしりぞけ名君を立てられました。その功績は殷の伊尹(いいん)・漢の霍光(かくこう)よりも高く、周囲の妄言など信ずるに足るものではありません。」道子は謝重の方を見て言った。「分かった。分かった。」そこで桓玄に酒を注いで言った。「まあ飲め。」桓玄はそこでようやく立ち上がることができた。しかしこのために道子に対して切歯扼腕し、一言も発さずに退いた。

 桓玄は家に帰ると、独り部屋の中で座っていたが、怒気は収まらなかった。その兄桓偉(かんい)がその様子を見て言った。「弟よ、何をそんなに怒っているのか?」桓玄は言った。「我が父の功業は世を覆うほどであったのに、その子は権勢を失い、つまらぬ奴に侮られているのだ。」そして道子とのことを詳しく述べ、言った。「我が恨み、この手であいつを斬らずにはおられん!」すると桓偉は言った。「朝政は日に日に乱れ、晋室も崩れようとしている時勢は明らかだ。我が桓氏は代々荊州を治め、亡父の宣武公の遺したは恩徳には、彼の地の士民も喜び服している。さらに荊州益州の名族は、みな我が家の門下生や旧官吏たちだ。彼らを登用すれば、みな心服し恩に報いようとするであろう。まして殷仲堪(いんちゅうかん)は先頃荊州にやってきたばかりで、その人望もまだ浅い。今、彼のもとに行けば、必ず重用されるだろう。その勢力を借り、そして優れた人材を集めれば、その志を遂げることもできよう。ただここに留まっていても、いたずらに人の辱めを受けるばかりだぞ。」桓玄ははっと悟り、そこで一家を挙げて荊州に赴き、殷仲堪のもとに身を投じた。

 これより先、殷仲堪は荊州に赴任して以来、小さな恩恵は施していたが、政事が煩瑣であっため、人々はなかなか懐かなかった。また朝廷ともうまくいかず、国宝らに謀られることを恐れ、孤立するのを心配していたが、そんなおり、桓玄がやって来たことを聞いた。彼がもとより豪気があり、荊州の人々が畏服しているのを殷仲堪は知っていたため、喜びにたえず、即座に接見し、部屋に迎え入れて仔細に語り合った。

 仲堪「君は都から来たので、朝廷の実情を知っているだろう。近頃の様子はどうかね。」桓玄「大臣は昏迷で、つまらぬ瑣事ばかりに意を用いており、朝政は日一日と傾き倒れていく一方です。そこで私は都を脱してここにやってきて、貴殿に身を委ねたのです。さらに言えば、あなたと王恭どのは、司馬道子・王国宝ともとより仇同士であり、ただどちらが先に相手を倒すのかという問題だけです。今、道子はすでに大権を握り、国宝と表裏一体となって、気に入らない人間はしりぞけ、ほしいものは何でも手に入れ、それに皆が従っております。孝伯どの(王恭)は先帝の皇后の兄であるため、これをあえて害そうとはしないでしょう。しかしあなたは先帝の抜擢により大任をまかされましたが、人心を得ているとはまだ言えません。もし彼らが帝の詔を借りて、あなたを中央に召して中書令としたならば、あなたはそれを辞退することができましょうか。もしそうなれば荊州は失われ、ご自身も危うくなるでしょう。」仲堪「私はまさにそのことを憂えているのだ。何かよい方策があるか。」桓玄「孝伯どのはあやつら奸臣を深く憎んでおられます。あなたは即座に彼と密約を結び、君側の奸を除くべく、東西より一斉に兵を挙げるべきです。私は不肖とはいえ、荊楚の豪傑を引き連れ、矛を手に先陣をうけたまわります。これこそ斉の桓公や晋の文公の勲功となるものですが、あなたは座してそれを失われますか。」仲堪はその計画を良しとし、すぐに軍事についてもともに謀った。