帰雁

 帰雁  銭起
瀟湘何事等閑回   瀟湘 何事ぞ 等閑に回(かへ)
水碧沙明両岸苔   水 碧く 沙(すな) 明らかにして 両岸 苔むす
二十五絃弾夜月   二十五絃 夜月に弾じ
不勝清怨却飛来   清怨に勝へず 却飛して来たる

 雁はどうしてこの瀟湘の地を気にも留めず北へと帰っていくのか。水は青く澄み沙は白く輝き、両岸は青々と苔むしているというのに。

 それは清らかな夜の月の下、二十五絃の琴が奏でられるのを聞くと、悲しい音色に堪えかねて北へと帰っていくのだ。


※[何事]どうして。 [等閑]なおざりにする。軽んじる。 [二十五絃]瑟(琴の大型のもの)の一種。古の伝説の帝伏羲(ふくぎ)が作ったとされる。一説に、伏羲は初め仙女の素女に五十絃の瑟を弾かせたが、その音色があまりに哀しいため、壊して二十五絃にしたともいう。また湘水の女神が瑟を奏でることは古来しばしば詩に詠われる。 [却飛来]諸説あるが、「来」は助辞ととらえ、飛んで帰っていく意と取る。

 

 「瀟湘」とは、湖南省を流れる瀟水・湘水二水の名です。古の聖王舜の二人の妃(娥皇・女英)が、南方を巡行中に崩御した舜を慕って川に身を投じ、湘水の女神になったという伝説があります。

 一方で、「瀟湘八景」(瀟湘夜雨、平沙落雁、煙寺晩鐘、山市晴嵐、江天暮雪、漁村夕照、洞庭秋月、遠浦帰帆)で知られる風光明媚な地でもあります。そしてこの近辺に回雁峰があり、秋に北から飛んできた雁は、その峰より南には行かず、春になると北へ還っていくと言われます。

 この詩は、詩人と雁との問答体になっています。一二句で、美しい風景があるのにも関わらず、なぜ帰っていくのかと詩人が雁に問いかけ、三四句で雁がそれに答えるのです。湘水の女神が奏でる二十五弦の瑟の哀しい音色に堪えられないためなのだと。

 瀟湘の夜の風景、青い水、白い砂、苔むす岸辺、それらが月明かりに照らされ、そこに二十五弦の琴の哀しい音色が響くという、非常に叙情的な美しい風景を見事に描き出しています。