南史演義 巻6-4

 ところでこの時、劉毅(りゅうき)は姑孰(こじゅく)に駐屯していた。乱を聞くとすぐに兵を出して賊を討とうとしたが、病のために果たせなかった。しかし何無忌(かむき)が敗れたと聞くと、病をおして兵を起こし、盧循(ろじゅん)を討とうとした。劉裕は彼が敵を軽んずることを恐れ、次のような書簡を送り、これを止めようとした。

  私はかつて妖賊を討ったことがあり、やつらの事情に通じている。この賊は新たに野心を抱いて乱を起こしたもので、すぐにその鋭鋒は挫くことは難しい。今、こちらも舟を準備している。それももうすぐ終わるので、その時には君とともに兵を挙げ、やつらを討伐しよう。平定の暁には、上流の任はみな君にゆだねたいと思う。しかし今は待つ時である。何無忌がすでに誤りを犯した。どうか君はまた誤りを犯さないでほしい。

 書簡だけでは劉毅が聴かないことを恐れ、さらに弟の劉藩(りゅうはん)を遣わした。しかし劉毅は怒って劉藩に言った。「かつての一時の功でたまたまお前の兄を上に立てているだけだ。わしが本当に劉寄奴(りゅうきど)に及ばないと思うのか?」劉毅は書簡を投げ捨てて軍を進めた。

 これより先、劉毅は劉裕と協力して大業を成したが、その功は劉裕の次に置かれたため、心中は常に不滿であった。また自らその才を恃み、今の世にかなう者はないと思っており、常に「劉邦項羽らと中原を争うことができぬのが残念だ」と言っていた。

 またかつて東府にあった時、僚友と集まって樗蒲(ちょぼ)を行ったことがあり、その賭け金は百万銭にも至った。なお樗蒲とは、五枚の木の板を投げて駒を進めるすごろくのようなものである。板は片面が黒く、裏が白く塗られ、さらに五枚のうち二枚には白い側に雉が、裏には牛が描かれていた。それを投げて出た面によって進み方が変わるのである。

 他の者は次々と敗れ、ただ劉裕と劉毅だけが残ったが、まだ勝負はつかなかった。劉毅が五枚の板を投げると「雉」(雉2枚と黒3枚。14マス進む)が出て、大いに喜び衣の裾をかかげて盤のまわりを回って叫んだ。「ここで『盧』(牛2枚と黒3枚。16マス進む)を出せば良いぞ!」劉裕はその言葉に怒り、五枚の板をしばらく握った後、投げうって言った。「兄上、試しに答えてみよう。」四枚の板は黒が出て、あと一枚はまだ転がっていたが、劉裕が一喝すると黒い面を上にして止まり、「盧」となった。劉裕は劉毅に笑って言った。「この手はどうか?」人々はみな喝采した。劉毅は顔色を変え、ゆっくりと言った。「卿が私に借りを作りたくないのがよく分かった。」そのため常に功績を挙げて劉裕の声望を圧倒したいと思っていたのである。そして今、盧循を討伐して大功を立てようとし、そのまま水軍二万を率いて即日進発した。


 この時、盧循は湘中(しょうちゅう)の諸郡を攻め、徐道覆(じょどうふく)は尋陽(じんよう)を攻めていた。劉毅がやってくると聞いた徐道覆は、使者を遣わして盧循に報告して言った。「劉毅の兵は非常に盛んで、成否はこの一戦にかかっています。力を合わせてこれを撃つべきです。もし勝ちを収めれば、建康に至るまでもはや敵は無く、長江上流からの不安もなくなります。」盧循は報告を受けてすぐに巴陵(はりょう)を出発し、徐道覆と兵を合わせて長江を下った。

 五月戊午、両軍は桑落洲(そうらくしゅう)で遭遇した。すると賊兵は船を返して逃走し、劉毅軍の兵は先を争って数里ほど追撃した。たちまち賊の船団が横に開かれると、一人の女将軍が現れ、手に双刀を振るって水面を飛行した。劉毅軍はみな目を見張ってこれを見ていたが、突然暴風が吹き荒れ、天地は暗くなった。そして盧循の兵が左から、徐道覆の兵が右から攻めかかり、女将軍は前方から兵を率いて突撃した。四方八方みな賊兵であり、何ら手を打つこともできず官軍は大敗した。

 劉毅は船を棄てて岸に上がり、数百人ほどは歩いて逃げ出すことができたが、大量の輜重を放棄することになり、それらは全て盧循の手に落ちた。彼は喜んで徐道覆に言った。「何無忌、劉毅らはみな敗れた。今、兵を煩わせずに建康に入ることができよう。」さらに軍中に酒を振る舞って祝った。しかし劉裕がすでに都に還ったと聞くと、お互いを顧みて色を失って言った。「何と速く還ってきたのか?」盧循はいったん尋陽まで退いて江陵を攻め取り、二州に拠って朝廷に対抗しようとした。徐道覆はこれを不可とし、劉裕は還ってきたばかりでまだ態勢が整っていないため、すぐにこれを攻めれば勝てようが、遅れれば勝つのは難しいと述べた。盧循はそこで兵を率いてすぐに進軍した。