南史演義 巻6-2

 羅氏(らし)は盧循(ろじゅん)の人物の意気軒昂なことを思い出し、夫にふさわしいと考え、人を遣わして盧循に結婚するよう説いた。しかし盧循には妻があるためこれを断った。帰ってきた使者が報告すると、羅氏は笑って何も言わなかった。

 ある日突然、楼船百艘を連ね、数千の兵を率いて、羅氏自ら番禺(ばんぐう)にやって来た。盧循が出迎えると羅氏は言った。「あなたは当世の英雄で、私もまた女の中の豪傑だと思っています。この身をあなたに託し、あなたが大事を成し遂げるのを助けたいのです。どうして同意されないのですか?」

  盧循は言った。「今の妻を捨てることはできぬし、おぬしの下に彼女を置こうとも思わぬ。」羅氏は笑って言った。「あなたはご自身が主ではないのですか?私が尊夫人と直接お会いして決めましょう。」そのまま盧循と馬を馬べて城内に入り、役所に至ると盧循の妻が出迎えた。そして奥座敷に入ったところで一言も言葉を交わさないうちに、羅氏は即座に剣を抜いて彼女を斬り、盧循を顧みて言った。「あなたと同じ家に生まれることはありませんでしたが、同じ墓に入りましょう!」

 人々は大いに驚いたが、その勇をはばかり動こうとしなかった。盧循もまた唯唯として彼女の言うとおりにした。妻の遺体を他に移してそこで厚く殯(もがり)を行いつつ、一方で華燭の典を開き、契りを交わした。これにより鹿島(かとう)の兵や武具兵糧はことごとく番禺に帰し、盧循の勢力はますます強大になった。

 ある日、徐道覆(じょどうふく)始興(しこう)からやって来て、盧循に言った。「将軍は劉裕の北伐を聞きましたか?」慮循「聞いている。」徐道覆「これは将軍のために喜ぶべきことです。」盧循「何が喜ばしいのか?」徐道覆「将軍はもともと五嶺の南にあって、今のような状況に終わるはずではありません。このままでは何を子孫に伝えられるのですか?すべてはまさに劉裕が難敵であるためです。その劉裕は今、堅固な城壁の前に兵を留めたまま、いつ帰ってくるとも分かりません。これを機に故郷に帰りたいと願う兵士が死にものぐるいとなれば、何無忌(かむき)劉裕らの兵を撃つのは手のひらを返すようなものです。しかし逆にこの機に乗じなければ、仮につかの間の平安を得たとしても、朝廷は常に将軍を腹中の病と見なしており、劉裕が斉を平定した後は、しばらく兵を休めた上で自ら精鋭を率いて五嶺を越えてきましょう。そうなれば将軍の神武といえども当たるのは困難かと存じます。今日の機会は万に一つも失うべきではありません。もし先に建康を落とせばその根本を傾けたことになり、劉裕は南に還ろうとしてもできなくなります。これが将軍ために喜ぶゆえんであります。」盧循は大いに喜び、羅氏もまたこれを勧めたので、ついに徐道覆と日を定めて兵を起こすこととした。

 これより先、徐道覆は人をやって南康(なんこう)山で船の材料となる木を伐らせ、始興でこれを売っており、人々は争ってこれを購入した。よって船材となる木が大量に積まれても誰も疑わなかった。ここにいたってことごとくそれらを取って艦船を作り、十日で出来上がった。

 そして盧循は長沙(ちょうさ)を攻め、徐道覆は南康、廬陵(ろりょう)、豫章(よしょう)等の郡を攻めた。守備兵はみな城を捨てて逃走した。この時、劉裕が燕に勝った知らせはまだ届いておらず、賊軍の勢いは非常に盛んであったので、都は恐れ震え上がった。