秦淮に泊す

 泊秦淮 秦淮(しんわい)に泊す  杜牧
煙籠寒水月籠沙   煙は寒水を籠(こ)め 月は沙(すな)を籠む
夜泊秦淮近酒家   夜 秦淮に泊し 酒家に近し
商女不知亡国恨   商女は知らず 亡国の恨み
隔江猶唱後庭花   江を隔てて猶ほ唱す 後庭花

 もやは寒々とした川の水を包み込み、月は岸の砂原をいっぱいに照らしている。私は夜、秦淮河のほとりに泊まったが、ここは酒場に近い。酒場では妓女が亡国の恨みも知らず、川の向こうでやはり「玉樹後庭花」の歌を歌っている。

※[煙]もや。霞。 [籠]包む。 [沙](川岸の)砂原。 [商女]妓女。

 

 晩唐の詩人杜牧が、六朝時代の都であった金陵(かつて建康、今の南京市)で古を思って作った詩です。詩題の秦淮とは川の名で、金陵を流れて長江に注ぎます。その一帯には妓楼が多く、繁華な場所であったといいます。「後庭花」とは、陳の後主陳叔宝が作ったとされる歌「玉樹後庭花」を指します。

 

 

 玉樹後庭花  陳後主
麗宇芳林対高閣   麗宇 芳林 高閣に対し
新粧艶質本傾城   新粧 艶質 本より城を傾く
映戸凝嬌乍不進   戸に映じ 嬌を凝らし 乍(たちま)ち進まず
出帷含態笑相迎   帷(とばり)を出でて 態を含み 笑ひて相ひ迎ふ
妖姫臉似花含露   妖姫の臉(かお) 花の露を含むに似たり
玉樹流光照後庭   玉樹 光を流して 後庭を照らす

 壮麗な宮殿、花咲く芳しい林は、高殿に向かい合っており、化粧したばかりのあでやかな姿はまことに城を傾けるほどの美しさ。戸に映った姿は艶めかしさを凝らしてすぐには入ってこず、帳から出てくるとしなを作って笑いながら出迎える。その妖艶な美女の顔は、花が露を含んだよう。月の光が美しい木々の間を通って流れ後宮の裏庭を照らしている。

 

 この詩の作者陳の後主は、陳叔宝(五五三~六〇四)、字は元秀。南朝・陳の最後の皇帝です。酒色に溺れ国事を顧みず、宮女や宮廷詩人たちと享楽にふけり、結果、陳は隋によって滅ぼされ、中国は統一されます。その後、彼は長安に送られますが、隋の文帝は彼を厚遇し、日々酒色にふけってその生涯を終えました。亡国の君主として知られますが、一方で、その詩に対する当時の評価は非常に高いものがありました。

 そしてこの「玉樹後庭歌」は彼の代表的な作品です。当時はこのように女性の美しさ、艶めかしさを詠ういわゆる「艶詩」が流行していました。当時は楽曲もつけられ、非常に哀愁漂うメロディーであったとも言います(それはこれが「亡国の歌」と言われるようになってからの後付けでしょうか)。

 

 杜牧が秦淮河のほとりに泊まっていた時、川の向こうからこの歌が流れてきたのでしょう。そしてこの地で陳、すなわち六朝が滅んだことに思いを馳せ、なおかつそのような事実を知らぬままに歌う妓女の様子に、時の流れと興亡の無常を感じたのでしょう。