江南の春

 江南春  杜牧
千里鶯啼緑映紅   千里 鶯 啼きて 緑 紅に映ず
水村山郭酒旗風   水村 山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺   南朝 四百八十寺(しひゃくはっしんじ)
多少楼台煙雨中   多少の楼台 煙雨の中(うち)


 千里彼方まで鶯が鳴きしきり、緑の葉が紅の花に映えわたる。水辺の村、山ぎわの村にも居酒屋の旗が風にはためいている。思えばかつて南朝の世には四百八十の寺院が栄えていた。数知れぬ多くの堂塔が今もうちけぶる煙るような雨の中に霞んでいる(かのようだ)。


※[山郭]山中の村。 [酒旗]酒屋のしるしの旗。 [南朝四百八十寺]南朝時代、特に梁代(五〇二~五五七)には仏教が盛んで、仏寺の数は都建康だけで五百を数えたという。 [多少]数知れぬ。

 

 作者杜牧は晩唐の詩人、「大杜」杜甫に対して「小杜」と称されます。その杜牧の代表作の一つです。

 最初に今現在の華やかな江南の風景を描き、そこからこの地の古に思いを馳せます。前半は色鮮やかな色彩画、後半は雨に煙る水墨画といったところでしょうか。二つの対照的な景が一首の詩の中に詠み込まれています。

 非常に数多くの仏寺があったという江南の地、最後の句の「多少の楼台 煙雨の中」とは実際に杜牧が見ていた風景なのでしょうか。その点については解釈が分かれます。杜牧が見たときにも多くの楼台があったという説、それらはすでに失われたが杜牧の眼には在りし日の風景として映っていたのだという説などがあります。

 いずれにせよその虚と実とが、彷彿として煙雨の中に混在している点にこの詩の魅力があるように思われます。