南史演義 巻4-6

 さて呉甫之(ごほし)は江乗(こうじょう)まで進軍し、そこで劉裕軍と相遇した。呉甫之の兵は劉裕軍の数倍あり、甲冑や騎馬が陣に連なり、矛や槍は日に照らされ輝いていた。劉裕の兵はそれを見てみな恐れたが、劉裕は言った。「今日の戦は、進むことはあっても退くことはない、成敗はこの一戦にある。諸君、つとめよ!」そこで自ら士卒に先んじて、手に長刀を執り、大声を上げて突入していった。その勢いに敵は思わずみな兵を開いた。呉甫之は進んでこれを迎え撃ち、劉裕はその馬前に突進していった。

  呉甫之が矛を振り上げた時、彼の頭はすでに地面に落ちていた。西軍は大いに奮い立ち、東軍は大敗した。皇甫敷(こうほふ)は先鋒が利を失ったと聞き、兵を両路に分けて救援に赴いた。劉裕もまた檀憑之(たんひょうし)と兵を分けてこれを迎え撃った。檀憑之は敵軍に突入し、力を奮って乱撃していたが、一人の敵将が横から彼を突き刺したところ、それが急所に当たってしまい、大声を上げて死んでしまった。そのため西軍は少し退いた。

 劉裕は事態が差し迫っているのを見ると、前に出てますます激しく戦った。皇甫敷は分けていた両軍によって挟撃し、彼を幾重にも取り囲んだ。劉裕は長い間力戦していたが、ついに長刀も折れてしまった。ふとかたわらに一本の大きな樹があるのを見つけると、そのままそれを抜いて振るって戦った。皇甫敷は大声で言った。「劉寄奴(りゅうきど)、お前はどこで死ぬつもりか!」彼は戟を抜いて劉裕を刺そうとしたが、刃が数寸ほど及ばなかった。劉裕が目を怒らして叱咤すると、皇甫敷は眼の前に一筋の紅い光が差したように感じ、思わず人も馬も尻込みしてしまった。

 その時、何無忌(かむき)が兵を率いて突入した。劉裕が見当たらなかったので、周りの兵士にどこにいるのかと問うた。兵士は指さして言った。「敵兵の厚いところです。」そこで重囲を突破して救おうとした。何無忌が皇甫敷に向けて矢を射ると、ちょうど額にあたり、皇甫敷は地面に倒れこんだ。劉裕は持っていた樹を棄てて刀を取り、進み出ていって彼を斬った。皇甫敷は死に臨んで劉裕に言った。「君には天命がある、願わくは子孫を託したいものだ。」そしてそのまま首を斬られた。

 兵士たちは主将が死んだのを見ると、みな乱れて逃げ出した。劉裕が大声で「降る者は殺さぬ!」と言うと、過半の者が降伏した。そこで得た物資糧食や武器甲冑は数えられないほどであった。劉裕は陣営に帰ると、檀憑之の屍にすがって泣いた。

 これより先、義旗が初めて建った頃、善く相を見る者があり、それによると義挙に加わった人々はみな大いに似たような貴相であるが、ひとり檀憑之のみ貴相ではないと言われた。劉裕はひそかに何無忌に言った。「我らはみな同じ事を起こそうというのに、偏りがある道理はない。檀憑之だけが貴とならぬはずがなかろう。」そして相者の言を深くは考えなかった。ここに至って檀憑之が戦死すると、劉裕はその死を大いに悲しんだが、しかし一方で大事が必ず成功することも確信した。そこで孟昶(もうちょう)を長史として、京口を守らせ、兵をまとめて建康に向かって進発した。