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南史演義 巻4-4

 何無忌は事を挙げようとした際、家人に知られることを恐れ、夜、ひそかに屏風の後に檄文を書いていた。その母劉氏は、劉牢之(りゅうろうし)の姉であり、階段の上からこの様子をうかがい、桓玄を討とうとしていると知り、大いに喜んだ。そして彼を呼んで言った。「私は東海の呂母(りょぼ)の聡明さには及びませんが、ただもしお前がこれを成し遂げたなら、何も恨むことはありません!」

  呂母とは新の時代の人であり、その息子が小罪を問われて県令に処刑されたため、仇を取ろうと、家財を散じて少年百余人を集めて反乱を起こし、その県令を殺した。その後、呂母は間もなく死去したが、その余党は新を滅ぼす赤眉軍となったのである。

  劉氏はさらにともに謀を立てているのは誰かと問うた。何無忌が「劉裕です」と答えるとますます喜んだ。「桓玄は必ず敗れ、劉裕は必ず成し遂げるでしょう。」何無忌の気概はますます盛んになった。

 乙卯(いつぼう)、劉裕と何無忌(かむき)は出猟にかこつけて、百余人の兵を集めた。早朝、京口城の門が開くと、何無忌は伝詔の者の衣を身につけ、勅使と称して先頭に立ち、兵がその後に従って入った。桓修(かんしゅう)はちょうど堂の上に座っており、無忌はまっすぐ堂下に至り、密かに申し上げたいことがあると言い、左右の者を退けるよう請うた。

  桓修は手を振って左右を退けさせ、何事かと問うた。何無忌は不意を突き、剣を抜いてこれを斬った。大声で呼ぶと、諸兵もみなやってきて、剣を抜いて乱撃し、左右の者はみな驚いて逃げていった。何無忌はそのまま桓修の首を持って劉裕のもとに至った。劉裕は大いに喜び、首を持って城壁で号令をかけようとした時、司馬の刁宏(ちょうこう)が変を聞いて、文武官吏を率いて攻めてきた。

 劉裕は城壁に登って言った。「江州刺史の郭昶之(かくちょうし)どのはすでに尋陽で天子を奉じて正道に立ち返られた。我等は密詔を受け、逆賊を誅殺したのだ。今ごろ首魁桓玄の首は、朱雀航すざくこう。建康の南門朱雀門に対する浮橋)にさらされているだろう。諸君は大晋の臣ではないのか?なお逆賊を助けようとするのか?」人々はこれを信じてみな散じてしまい、そのまま刁宏は殺された。

 

 この時、義旗が建ったばかりで、諸事が紛糾していた。劉裕は何無忌に問うた。「今この時、すぐにでも優れた主簿が必要だ。どうすれば得られよう?」無忌「それには劉穆之(りゅうぼくし)に過ぎる者はないでしょう。」劉裕「そうだ。この人でなければだめだ。」そこで書簡をもって彼を召し寄せた。

 もともと劉穆之は代々京口に住んでおり、人となりは博覧強記、五つの官に併任されても、一事の過ちもなかった。かつて琅邪(ろうや)府の主簿となったが、官を棄てて帰郷していた。

 ある夜、彼は夢の中で、劉裕とともに風の吹く海に船で浮かんでいた。激しい浪が起こり、船は馳せるように進んでいった。ふと見ると横に二匹の白龍が船を挟んでおり、やがて一つの山にいたった。その峰は高くそびえ、樹木はうっそうと茂っていた。二人が手を携えて登っていくと、その上に美しい宮殿があり、中に数人の仙女がいた。彼女たちは劉裕に向かって拝礼した。そして劉裕は上座にすわり、劉穆之はその横にすわり、宴が開かれた。珍しいごちそうが並べられたが、みな人間世界の味ではなかった。目覚めると、口中に余香が残っているかのようであり、心中はなはだ不思議に思った。

 朝起きると、京口で喧噪の音が聞こえた、街頭に出て眺めていたが、直視したまましばらく何も言わなかった。家に返ると、家人に命じて朝服を用意させた。すると劉裕の使者がやって来たので、そのまま劉裕に会いに行った。劉裕「今はじめて大義を挙げたが、ちょうど艱難に当たっている。急ぎ一軍吏が必要なのだが、卿は誰がその任に堪えると思うか?」劉穆之「慌ただしいこの時、私を越える者はないでしょう。」劉裕は笑って言った。「卿が私にしたがってくれれば、わが事は成ったも同然だ。」即座にその場において主簿に任じた。