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南史演義 巻3-3

南史演義

 この時、殷道護(いんどうご)、桓昇(かんしょう)の二子は将台の上に座り、瓊玉(けいぎょく)の絶世なる容貌と優れた武芸に魂も奪われ、すぐにでも華燭の典を結びたいと切望していた。やがて瓊玉は台に上がり席についたが、風流なるその姿にますます心を動かされ、彼らはすっかり見とれていた。楊佺期(ようせんき)は二子を顧みて言った。「賢君らはみな将家の子であれば、定めて武芸に通じていよう。老夫(わし)に少し見せてもらえないか?」

 二人は即座に声に応じた。麟児(りんじ)〔桓昇〕は自らの武芸に自信があるので、すぐに立ち上がって馬に乗り、教練場に馳せ入って、三矢を連発し、一矢を命中させた。荊生(けいせい)〔殷道護〕は長らく技癢を感じており、すぐに彼もまた馬に乗って弓を引き、三矢を連発したが、みな紅い的に命中した。人々は声をそろえて喝采した。射が終わり台に上がると、楊佺期は賞賛の言葉をかけ、二子は謝辞を述べて退いた。軍中では太鼓が打ち鳴らされ、祝砲が撃たれ、そして兵たちもみな軍府に帰って行った。

 楊佺期は娘を見て言った。「おまえの気持ちはどちらだ?」瓊玉は言った。「紅い的に当てた者が良いです。」彼は娘の気持ちが殷道護にあることを知り、そのまま彼を招いて婿とし、日を選んで婚姻を結んだ。桓昇は失意のうちに去って行った。

 祝言の夜、荊生は瓊玉に言った。「おまえはどうして私と結婚したのだ?」女は微笑んで言った。「あなたが紅い的に当てたからです。」殷は笑って言った。「今夜ようやくおまえの心の的に当てることができるのだ。」そのまま衣を解いて床に就いた。まさしくこれは女の容貌と男の才が、ともに惹かれあって互いにその意を得たのである。これ以上詳しく述べる必要もなかろう。


 ところで麟児は江州(こうしゅう)にかえったが、その様子は進士に落第した書生のごとく、家に戻ってもうなだれて生気を失っていた。桓玄(かんげん)は婚姻がならなかったのを見、怒ると同時に恐れを抱き、卞范之(べんはんし)に言った。「楊佺期は我らと婚姻を結ばなかった。これは小事であるが、ただ荊州(けいしゅう)と雍州(ようしゅう)が結べば、必ず我らに何かをしかけようとするだろう。となるとこれは防がないわけにもいくまい。おまえならばどうやってこれを制する?」

 范之は言った。「江州の地は狭く民は窮乏しており、兵も食も不足しています。今この時はひとまず執政殿(司馬道子)と結び、統治地域を広げるよう求めるべきです。地が広くなれば兵も強くなり、殷と楊が手を結んで攻めてきても、これを防いであまりあります。」桓玄はこれに従い、上表して統治地域の拡大を求めた。

 一方、時の執政司馬道子(しばどうし)は殷、桓、楊ら三人が徒党を組んで災いとなることを恐れていたので、彼らの間に隙を生じさせて離間を謀ろうとした。そこで楊佺期の管轄から四郡を割き、桓玄に都督荊州四郡を加え、さらに楊佺期の兄楊広(ようこう)から南蛮校尉の職を奪い、桓玄の兄桓偉(かんい)に授けた。楊佺期はこれを聞いて激怒し、楊広に命を受けないよう言い、兵を整えて殷仲堪(いんちゅうかん)と共に桓玄を討とうとした。しかし殷仲堪は安寧を謀ろうとして、楊広を宜都(ぎと)太守とし、桓偉に対して譲らせ、さらに楊佺期をとどめて兵を引かせた。

 この年、荊州に大水があり、平地でも数メートルにおよび、田はことごとく水没し、飢民が道に満ちあふれるほどであった。殷仲堪は蔵を開放してこれを救ったが、軍の食糧も消耗してしまった。参軍の羅企生(らきせい)が諫めて言った。「荒廃したものを救うのは誠に重要ではありますが、軍に食糧が無くなります。一旦急があれば、どうやってこれを救うのですか?」しかし仲堪は聞き入れなかった。

 桓玄はこれを聞いて喜び、言った。「これは天がやつを滅ぼそうとしているのだ。これを取るのはまさに今日この時である!」すなわち兵を整えて西に向かった。そして巴陵(はりょう)穀物の集積地があると聞くと、攻め落として根拠地とし、荊州の糧運を断った。

 殷仲堪は桓玄が兵を起こしたのを聞くと、その兄桓偉を捕らえ、桓玄への書簡を書かせた。兵を収めるよう勧める内容であるが、その言葉ははなはだ切迫していた。これを見て桓玄は言った。「仲堪は人となり決断がなく、常に成功と失敗のことが頭にあり、女子供のような考え方をしている。我が兄を害そうとはするまい。」

 桓玄の兵は止まることなく日々西に進んでいった。そこで殷仲堪は水軍七千を率い、西江口(せいこうこう)においてこれを防ごうとしたが、大敗してしまった。この時、城中の食糧は乏しく、兵士には胡麻を支給するようになっており、そのため士気の揚がらぬことはなはだしかった。桓玄はそのまま勝ちに乗じて、まっすぐ零口(れいこう)に至り、江陵(こうりょう)より十里のところに迫った。殷仲堪は慌てふためき、楊佺期に救援を求めた。楊佺期は言った。「江陵には兵糧がないだろう。それでどうやって敵を防ぐのか。こちらに来て襄陽(じょうよう)でともに敵を迎え撃とうではないか。」

 しかし殷仲堪は領地を捨てることを望まず、楊佺期に偽って言った。「先ごろ集めることができたので、糧食は十分にあるのだ。」楊佺期はこれを信じ、娘の瓊玉を留めて襄陽を守らせ、殷荊生を従え、精鋭八千騎を率いて救援に赴いた。