南史演義 巻3-2

 ある日、殷道護(いんどうご)と桓昇(かんしょう)はともに襄陽(じょうよう)にやってきて、それぞれ宿舎に入った。二人はもともと知り合いであり、翌日は馬を並べて軍府を訪ねた。殷は桓に言った。「我らと君らとはともに中原に鹿を逐っているが、その鹿は誰の手に帰するだろうか?」桓もまた殷に言った。「楊(やなぎ)には美しい花が咲いているが、その花は誰の家に落ちるだろうか?」二人とも馬上で大笑した。

 
 やがて門にいたると、楊佺期(ようせんき)はすぐに入ってくるよう伝えた。挨拶が終わり、書斎に招き入れて話をした。二子を見るに、ともに颯爽たる立ち居振る舞い、並外れた容貌を持ち、まさに甲乙つけがたいものであった。佺期は言った。「わしは久しく二君の英名を慕っており、ぜひお会いしたいとお招きした次第。わざわざ来ていただき、まこと喜びに堪えぬ。」二子もまた辞を低くしてそれに答えた。

 夜になると、大広間で宴が設けられた。二子がゆっくりと歩いて入っていくと、中には灯火が煌々と光り輝き、きざはしの前では笙歌が並び演奏されていた。中央に二つの席が用意されており、二子に上座につくよう勧めた。楊佺期はその横で主人の席につき、瓊玉(けいぎょく)は帳の中で様子を窺っていた。二子を見た侍女は、その容貌、立ち居振る舞いを盛んに言い立てて賞賛した。宴が終わると、二子は挨拶して退いた。

 楊佺期は娘に言った。「殷、桓ともに優れた人物だ。おまえはどちらが良いと思うか、率直に言ってみよ。」瓊玉は言った。「二子はともにその風流な様子は似ておりますが、武芸がどのようであるかは分かりません。明日、私は女兵をひきいて、父上に従って教練場で演兵を行いましょう。二子にもそれぞれその才を示させ、それから決めたいと思います。」楊佺期はちょうど娘の武芸を二子に示し、誇ろうと思っていたので、その言葉を聞いて大いに喜び、すなわち三軍に命じて、翌朝、教練場に集合して演武を行うよう伝えた。

 使者が殷、桓の両所にいたり、彼らにともに観覧するよう求めた。二子は娘が演武を行うと聞き、先にその容貌を見ることができるため、みな喜んでその命を受けた。

 

 一方、瓊玉は教練場で配偶者を選ぼうと思い、夜のうちに準備をすませた。翌日、朝早くに起きると、轅門(かんもん)の外で号砲が三度響いていた。父がすでに演武を行っていることを知り、即座に馬に乗り、女兵一隊を率いて、教練場にやって来た。その時、楊佺期はすでに高台の将軍の座に就き、殷、桓の二子はそのかたわらに座り、将兵は台の前に整列して命令を待っていた。瓊玉はすぐには上にのぼらず、軍門に馬をつないで様子を窺っていた。

 槍や刀が多く立ち並び、密集して整列しており、鎧甲も鮮やかに光り輝き、まさに武威にあふれていた。陣中から三度太鼓が鳴れば、将兵は厳霜を負ったように粛然とし、軍府の内よりひとたび伝令が走れば、旌旗もそのたびに形を変える。八門の陣を敷けば、兵は素早く縦横に馳せて集まり見事な陣形を作り、長蛇の陣へ変えれば、前に進み後ろに退いてらせんの形を作り出す。銅鑼がひとたび鳴れば、それぞれもとの隊列に戻り、旗を三たび振れば、また矛を振りかざす。左右が互いに攻めかかれば、兵は争って、先陣を切ろうとする。馬にむち打って駆け出しては、それぞれ普段の技量を示そうとし、槍を取って接戦しては、ずば抜けた本領を発揮しようとする。将軍台の前では、さらに一層の殺気が噴出し、演武場一杯に白刃の光がきらめきあふれている。まさにこれは熟練の軍であり、孫子呉子が率いるものにも劣ることはなく、雲のごとき軍勢は、貔(ひ)や虎のごとき群れと異なるものではない。〔※貔とは伝説上の獣であり、「貔虎」はしばしば勇猛な兵士を指す〕

 瓊玉はこの時、諸将の見事な演武に見とれていたが、それが終わると、女兵をひきいて、まっすぐ将軍台の前にやってきて命を請うた。楊佺期は竿を一本立て、竿の上に紅い中心のある的を用意させるよう命じ、まず女兵にこれを射させた。女兵はみな矢をつがえ、飛ぶように馬を走らせ、弦を引き放った。的に当たるものもあれば、当たらないものあったが、それぞれの射が終わると、瓊玉が馬を走らせて出てきた。さてその出で立ちはというと――。

 頭にはキラキラと光り輝く紫金の冠をかぶり、身には色鮮やかな紅い絹の鎧をまとっている。耳には八宝の耳飾り、前には明鏡のごとき胸当て。玉のような顔は見目麗しく、弾むような声は耳にとても心地よい。柳のような細い眼は艶やかさをたたえ、その馬上にある風流な姿は非常に愛らしい。細く白いしなやかな手に、高く鞭を持ち、なまめかしく細い腰には、斜めに宝剣をかけている。さっと五花の馬を踊らせれば、そのさまは龍のごとく、ひと張りの百石弓を引き絞れば、その形は満月のよう。彼女の放った矢は外れることなく、三たび紅心に命中した。太鼓は盛んに打ち鳴らされ、万人が喝采をあげた。まさしく女中の豪傑、閨房の将軍であり、生まれながら沈魚落雁の容貌を備え、さらに百歩穿楊の技に熟練しているのであった。