黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

 黄鶴楼送孟浩然之広陵
   黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る
                   李白
故人西辞黄鶴楼  故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月下揚州  煙花 三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空尽  孤帆(こはん)の遠影 碧空に尽き
唯見長江天際流  唯だ見る 長江の天際に流るるを


 親しい友は西のかた黄鶴楼を去り、花がすみ立ちこめる三月に揚州へと下っていく。遠くに進む一艘の帆影は青い空の彼方に見えなくなり、ただ長江が天の果てへと流れていくのを見るばかり。


※[黄鶴楼]武昌の西、長江を見下ろす高台にあった楼閣。 [広陵]揚州に同じ。今の江蘇省揚州。 [故人]友人。孟浩然を指す。 [煙花]花がすみ。咲き誇った花が遠くから霞のように見えること。 [孤帆]一艘の舟。


 これは送別の詩として特に有名な作品です。
 「春暁」の詩で有名な孟浩然は、李白が非常に敬愛していた詩人の一人です。その孟浩然が遠く広陵に行くのを見送る李白の思いとはどのようなものであったのでしょうか。
 この当時の旅とは今のそれと異なり、非常に危険なものであり、一度別れると次にいつ会えるか分からない、あるいは二度と会えないかも知れないというものでした。だからこそ、遠く去っていく舟を消えるまで見送り続けている様子を詠っているのです。

 また最後の長江が天の果てに流れていくという描写、そこには中国の川に対する考え方も見受けられます。古くは『論語』の中で、孔子が、「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」と嘆いたように、川の流れは留まることなく流れ続けるものであり、それは時の流れ、人の一生と同じようなものだという意識があります。

 過ぎていく時は戻ることない。そして今別れる孟浩然とももはや会うことは無いかも知れない。そういった寂しさがそこに込められているように思われます。