二千里外 故人の心

 先日はスーパームーンでした。そこで十五夜の月を詠った詩を一つ。

 八月十五日夜禁中独直対月憶元九
                  八月十五日夜 禁中に独り直し月に対して元九を憶ふ

                            白居易

  銀台金闕夕沈沈  銀台 金闕 夕に沈沈たり
  独宿相思在翰林  独り宿し相ひ思ひて 翰林に在り
  三五夜中新月色  三五夜中 新月の色
  二千里外故人心  二千里外 故人の心
  渚宮東面煙波冷  渚宮(しょきゅう)の東面 煙波冷たく
  浴殿西頭鐘漏深  浴殿の西頭 鐘漏(しょうろう)深し
  猶恐清光不同見  猶ほ恐る 清光 同じくは見ざるを
  江陵卑湿足秋陰  江陵は卑湿(ひしつ)にして 秋陰足る

 ここ長安の美しい宮殿では静かに夜が更けていく。独り翰林院で宿直しつつ君のことを思う。十五夜の出たばかりのこの月を、二千里離れた友人はどのような心で見ているだろう。渚宮の東では河面に夜霧が冷たく立ちこめていることだろう。この長安の浴殿の西では時を告げる鐘の音や漏刻の音が遠く聞こえてくる。心配なのは、この清らかな月の光を君が同じように見ていないのではないかということ。江陵は低湿の地で秋の曇りが多いということだから。

※[元九]白居易の友人元稹(げんじん)をいう。 [銀台金闕]美しい宮殿。都長安の宮殿。 [沈沈]夜が更けていくさま。静かなさま。 [翰林]翰林院。皇帝の側近の詰所。 [渚宮]江陵にある宮殿の名。元稹のいる地を指す。 [浴殿]長安の宮殿。白居易のいる地を指す。 [鐘漏]時を告げる鐘と水時計。 [卑湿]低地で湿気が多いこと。

 月、とりわけ十五夜の月は、同じ月を眺めているだろうという想像から、遠くにいる人と自分とを結ぶものとして、しばしば詩に詠われます。

  この詩もまた十五夜に、長安の翰林院で宿直していた白居易は、月を眺めつつ、遠く江陵にある親友元稹(げんじん)に思いを馳せます。月を媒介とすることで自分と元稹がつながっていると感じられるのですが、ここで白居易は元稹のいる江陵では曇っていて月が見えないのでは、と心配します。

 現代とは違い、一度離ればなれになると、たやすく会ったり、連絡を取ったりできるわけではありません。そんな中、遠く離れた二人を結ぶ月というものは、とてつもなく大きな存在だったのでしょう。

 この詩の中でもとりわけ「三五夜中 新月の色 二千里外 故人の心」とはまさに千古の名句とされ、古くから日本でも愛唱されてきました。たとえば『源氏物語』にも次のように引用されています。これは光源氏が都を離れ、須磨の地に仮住まいしていたときのことです。

源氏物語』須磨の巻
   月のいとはなやかにさし出でたるに、「今宵は十五夜なりけり」と思し出でて、殿上の御遊び恋しく、「所々眺めたまふらむかし」と思ひやりたまふにつけても、月の顔のみまもられたまふ。「二千里外故人の心」と誦じたまへる、例の涙もとどめられず。

 作者である紫式部はもとより、この『源氏物語』を読む平安貴族の間でも、この「二千里外故人の心」の一句で、白居易の詩を思い出させる共通認識があったのでしょう。