槊を横たえて詩を賦す ― 詩人曹操

 魏の武帝曹操は実は詩人としても傑出した人物でした。今日はその詩を紹介します。

  短歌行  曹操
対酒当歌  酒に対して当に歌ふべし
人生幾何  人生 幾何(いくばく)
譬如朝露  譬へば朝露の如く
去日苦多  去る日は苦(はなは)だ多し
慨当以慷  慨(がい)して当に以て慷(かう)すべし
憂思難忘  憂思 忘れ難し
何以解愁  何を以てか愁ひを解かん
唯有杜康  唯だ杜康有るのみ
 

  酒を飲んだらさあ歌おう。人生はどれだけあると言うのか。それは例えば朝露のようなもの。過ぎゆく日々は非常に多い。思わず感情が高ぶってきて、憂いを忘れることもできない。どうやってその憂いを晴らせば良いのか。それはただ杜康だけなのだ。

※[杜康]初めて酒を作ったとされる伝説上の人物で、転じて酒を言う。 

  まず酒を前にして人生のはかなさを嘆き、その憂いを晴らすのはこの酒だけであると詠います。

 

 青青子衿  青青たる子が衿
悠悠我心  悠悠たる我が心
但為君故  但だ君が為の故に
沈吟至今  沈吟して今に至る
呦呦鹿鳴  呦呦(いういう)として鹿鳴き
食野之苹  野の苹を食らふ
我有嘉賓  我に嘉賓有らば
鼓瑟吹笙  瑟を鼓し笙を吹かん


 優れた才を持つ若き青年たちを、私はずっと思い続けてきた。ただ君たちを得たいがために、今にいたるまで物思いにふけっているのだ。鹿はゆうゆうと鳴いて仲間を求め、野原の蓬を食べている。もし良い賓客がいれば、瑟をかなで笙を吹いてもてなそう。


※[青青…我心]『詩経』鄭風・子衿に基づく。若者たちに呼びかける語。

 青青子衿 悠悠我心  青青たる子が衿 悠悠たる我が心
 [呦呦…吹笙]『詩経』小雅・鹿鳴に基づく。鹿は仲間を呼んでともに草を食べるとされることから、自分も良き賓客を招きもてなそうとすることを言う。
 呦呦鹿鳴 食野之苹  呦呦として鹿鳴き 野の苹を食らふ
 我有嘉賓 鼓瑟吹笙  我に嘉賓有り 瑟を鼓し笙を吹かん

  そして第2段では『詩経』を踏まえつつ、才能ある優れた人物を招きたいと述べます。

 

明明如月  明明たること月の如し
何時可掇  何れの時にか掇(と)るべけんや
憂従中来  憂ひ 中より来たり
不可断絶  断絶すべからず
越陌度阡  陌を越え阡を度(わた)
枉用相存  枉(ま)げて用て相ひ存(たづ)
契闊談讌  契闊談讌し
心念旧恩  心に旧恩を念(おも)


 しかし月のように明らかな光を、いつ手に取ることができようか。そのため憂いが心のうちよりこみ上げてきて、断ち切れることはない。もし東西南北に伸びる道を越えて、わざわざ私を訪ねてくれる人がいれば、苦労話など酒を飲んで語り合い、いつまでも友情を忘れないようにしよう。


※[明明如月]才能ある人を月の光に喩える。

 しかし第3段では、才能ある人を月の光に喩え、得たいと願ってもなかなか得られないことを詠います。

 

月明星稀  月明らかに星稀(まれ)
烏鵲南飛  烏鵲 南に飛ぶ
繞樹三匝  樹を繞(めぐ)ること三匝(さう)
何枝可依  何れの枝にか依るべき
山不厭高  山は高きを厭(いと)はず
海不厭深  海は深きを厭はず
周公吐哺  周公 哺を吐き
天下帰心  天下 心を帰す

 

 月が明らかで星が稀な夜、カササギは南に飛んでいく。樹のまわりを三度回り、どの枝に止まろうかと探している。山はどのような土石もいとわず積み上げて高くなり、海はどのような水でもいとわず受け入れて深くなる。かの周公旦は来客があると食事中でも食べかけのものをはき出してまでその人に会い、そのため天下は彼に心を寄せたのだ。

 

※[烏鵲]カササギ。 [月明星稀 烏鵲南飛]曹操が目の前で見た実景であるとする説と、この二句は、一人の英雄が現れたために、他の群雄が消えていくことに喩えたとする説もある。 [山不厭高 海不厭深]『管子』形成解に「山はどのような土石も受け入れるため高くなり、海はどのような水も受け入れるため大きくなる」とあるのに基づき、名君はどのような人物でも受け入れるため、そのもとに多くの人が集まってくることを述べる。 [周公]周公旦。周の文王の子、武王の弟。周公は食事中でも来客がある、口の中のものをはき出して即座にその人を迎えたという。

  最後第4段では、樹のまわりを飛ぶカササギを主君を探す賢人に喩え、さらに『管子』や周公旦の典故を述べて結びとしていますが、そこにはもちろん自分も彼らのように天下の人心を得たいという願いが込められています。


 優れた人材を渇望する曹操の思いが切々と伝わってくる詩と言えるでしょう。


 またこの詩は曹操の詩として最も有名なもので、『三国志演義』の中にも取り入れられ、赤壁の戦いの前に詠われています。『レッドクリフ』などの映画もそれを踏襲していますが、そもそもこの詩の制作時期ははっきりしません。
 おそらく蘇軾の「赤壁の賦」以降、赤壁の戦いとこの詩が結びつけられるようになったのではないでしょうか。

  赤壁賦   蘇軾

月明星稀、烏鵲南飛、此非曹孟徳之詩乎。 西望夏口、東望武昌、山川相繆、欝乎蒼蒼。此非孟徳之困於周郎者乎。方其破荊州、下江陵、順流而東也、舳艫千里、旌旗蔽空。釃酒臨江、横槊賦詩。固一世之雄也。而今安在哉。況吾与子、漁樵於江渚之上、侶魚蝦而友麋鹿。駕一葉之軽舟、挙匏樽以相属、寄蜉蝣於天地、渺滄海之一粟。哀吾生之須臾、羨長江之無窮。挾飛仙以遨遊、抱明月而長終、知不可乎驟得、托遺響於悲風。    


月明らかに星稀に、烏鵲 南に飛ぶとは、此れ曹孟徳の詩に非ずや。西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川 相ひ繆(まつ)はり、鬱乎として蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困められし者(ところ)に非ずや。其の荊州を破りて、江陵を下り、流れに順ひて東するに方(あた)りては、舳艫千里、旌旗 空を蔽ふ。酒を釃(つ)ぎて江に臨み、槊を横たへて詩を賦す。固(まこと)に一世の雄なり。