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南史演義 巻2-6

南史演義

 さて、賊将の盧循(ろじゅん)は、孫恩に言った。「我々が海辺で兵を起こしてより、朝廷は専ら浙東の地のことばかりを気にし、強兵猛将が、ことごとくここに集まっています。都建康はきっと手薄になっているので、全力をあげて長江をさかのぼって進み、まっすぐ都を攻め落とすべきです。その根元を覆してしまえば、各地の諸侯もおのずと服すことでしょう。もしこの地で兵を動かすばかりでは、時に勝利を得てもまた敗れることもあり、長計とはいえません。」

 孫恩はこれに従い、長江の河口にて兵をまとめ、全軍を挙げて進発した。その兵力は十余万、楼船は千余艘、海に浮かび長江をさかのぼり、そのまま丹徒(たんと)にまで至ると、建康は大いに震え上がった。

 劉牢之はこれを聞き、すなわち劉裕に海塩県から援軍に向かわせ、自らは大軍を率いて進んだ。この時、劉裕の兵は千人に満たず、昼夜兼行してやって来ており、みな疲弊していた。彼らが丹徒に至ると、賊はちょうど兵を率いて蒜山(さんざん)に登り、旗を揚げ太鼓を鳴らしていた。そのため民衆は恐れおののき、荷物をまとめて逃げようとしていた。

 劉裕はこれらを撃とうとしたが、部下は、「衆寡敵せず、とても勝てる見込みはありません」と訴えた。劉裕は雷のごとく怒気を発し、自ら士卒に先んじて、山に登って奮戦した。兵もみな勇気を鼓舞して進み、その声は地を震わせるほどで、一人で百人に当たるほどの勢いであった。賊は大いに敗れ、岸に向かい水に入り、死者はあまねく川に満ちあふれるほどであった。

 孫恩は狼狽して船に還り、結局丹徒を攻めず、兵を整えてまっすぐ建康へと向かった。劉牢之もやって来て、劉裕がすでに勝ちを収めたことを知り、大いに喜んで言った。「今は勝ったとはいえ、賊の勢力はまだ強大だ。やつらの船は高く大きく、我が方の船は小さい。まともに防ぐことは難しいが、どうすればよかろう?」

 劉裕は言った。「楼船は風がなくては進めません。ここ数日は風も穏やかですので、やつらもすぐに建康に至ることはできません。殿は重装兵を率いてやつらの前方をふさがれませ。私は船団を率いて、奴らの背後から火攻めを仕掛けます。そうすれば勝てないはずはありません。」

 劉牢之はその計に従い、石頭城に馳せていき、兵を整えて賊軍を待ち受けた。劉裕は、草束などを積んだ船二十隻を用意して、自ら敵の後ろに押し出し、夜風に乗じて一斉に点火し、そのまま楼船に衝突させた。賊が、火のついた船が迫ってくるのを見てそれを討とうとしたときにはすでに楼船に燃え移っていた。

 おりしも風が激しく吹き、火は盛んに燃え上がり、それにあおられた者はみな頭や顔が焼けただれていた。そして隊列もばらばらになり、四方に逃げ散っていった。劉牢之は火が起こったのを確認すると、水軍を出陣させて敵を攻撃し、前後から挟み撃ちされた賊軍は大敗した。この戦いで賊軍は数万の兵を失い、楼船もほとんど焼けてしまい、陸に上がった者もみな官軍に討ち果たされた。

 孫恩は側近もほとんど失い、残った兵は、十人に一人、二人もいないほどであった。そのまま孫恩は河口から遠く海に逃れ、三呉の乱はようやく平定された。

 劉牢之は劉裕の功を奏上し、詔によって劉裕は建武将軍、下邳太守となったが、劉牢之の参軍はそのままであった。

 すなわち劉裕はこの時初めて朝廷より任命を受けたわけである。が、彼の話は今しばらく置いておく。