廬山の瀑布
今日は李白の「望廬山瀑布」(廬山の瀑布を望む)詩について。
望廬山瀑布 廬山の瀑布を望む
日照香炉生紫煙 日 香炉を照らして 紫煙生ず
遥看瀑布挂前川 遥かに看る 瀑布の前川に挂(か)かるを
飛流直下三千尺 飛流直下 三千尺
疑是銀河落九天 疑ふらくは是れ銀河の九天より落つるかと
日は香炉峰を照らし、あたりには紫のもやがかかっている。遥か遠くに滝が前の川に流れ落ちていくのが見える。真っ直ぐに流れ落ちること三千尺、まるで天の川が天の高みから落ちてきたのかと思われるほどだ。
※[廬山]江西省九江市の南にある名山。 [瀑布]滝。 [香炉]香炉峰。廬山の一峰。香炉の形に似ていることから言う。 [紫煙]朝、あるいは夕方のもや。霞。 [九天]天の最も高いところ。
廬山の美しく雄大な風景が描かれていますが、その描写は極めて巧みなものです。
まず最初に、遠くから見たもやのかかった廬山(香炉峰)の全体像を詠い、その中にある廬山の滝へと視点は注がれます(1,2句)。そして間近でみた滝のダイナミックなさまを表現した後、その滝はまるで天から落ちてきたようだと詠っています(3,4句)。
遠景から近景へ、そして全景から一点へと焦点が絞られた後、その視点が天へと移っていくことで、雄大な廬山の滝は立体的なものとして読者の頭に思い描かれるのです。
無論、視点の変化だけではありません。「香炉」からの連想で、廬山にかかっている朝もや(あるいは夕もや)を「紫煙」と称し、瀑布の「布」のと関連から、滝が前の川に落ちているのを「挂かる」と表現するなど、語句の選択も巧みなものです。
そしてこの詩の中で最も印象深い最後の句、「疑ふらくは是れ銀河の九天より落つるかと」とは、誇張の詩人かつ超俗的な詩人李白の真骨頂とも言える表現でしょう。
私も滝を見るのは結構好きなのですが、滝を詠った漢詩でこれ以上のものはないと思います。