夏昼偶作

 夏昼偶作  柳宗元
南州溽暑酔如酒   南州 の溽暑(じょくしょ) 酔ひて酒の如し
隠几熟眠開北牖   几(き)に隠(よ)りて熟眠 北牖(ほくゆう)を開く
日午独覚無余声   日午 独り覚めて 余声無し
山童隔竹敲茶臼   山童 竹を隔てて 茶臼(ちゃきゅう)を敲(たた)


 南国のあまりの蒸し暑さに、身体は酒に酔ったように火照っている。北の窓を開け、肘掛けに寄りかかってぐっすりと眠る。真昼頃に、ふと独り目覚めるが、何の物音もない。下男が、竹林の向こうで茶臼をたたく音だけが聞こえてくる。

※[溽暑]夏の蒸し暑さ。 [几]脇息。肘掛け。 [敲茶臼]宋・陸羽『茶経』によると、摘み取った茶葉はまず蒸してから臼に入れて杵でつき、その後に鉄製の型に入れて固め、乾燥させて保存したという。


 夏の昼間の様子を詠っています。
 「南州」とは文字通り、南方の州で、おそらく柳宗元が左遷された永州、または柳州を指すものと思われます。南方の夏の蒸し暑さを「溽暑」という語で表し、身体も熱く火照っているようです。このような暑い日は何もできないのでしょう、窓を開けて肘掛けによりかかってのんびり昼寝をしています。そしてふと目覚めても、聞こえるのは竹林の向こうから茶臼をたたく音だけ。非常にのどかな日々の様子が詠われています。

 この「几に隠りて熟眠 北牖を開く」という句は、夏の昼下がりの昼寝の様子を詠うものとして有名になり、後世、人口に膾炙していきます。

香山避暑

 

  香山避暑  白居易

六月灘声如猛雨   六月 灘声(たんせい) 猛雨の如し

香山楼北暢師房   香山の楼北 暢師(ちょうし)の房

夜深起憑闌干立   夜深くして 起ちて闌干(らんかん)に憑りて立てば

満耳潺湲満面涼   耳に満つる潺湲(せんかん) 面に満つる涼

 

 夏六月、岩にぶつかる早瀬の音は、まるで激しい雨のよう。ここは香山寺の高楼の北、文暢禅師のお部屋。夜も更けたころ、起き上がって欄干に寄りかかって立っていると、耳には清流の水音が満ちあふれ、顔には涼しさが満ちわたる。

 

※[六月]旧暦の六月は、新暦の六月下旬から八月上旬、盛夏にあたる。[灘声]岩にぶつかる早瀬の音。 [香山]寺の名。香山寺。 [暢師]香山寺の高僧の一人、文暢禅師(もんちょうぜんじ)をいう。 [闌干]手すり。欄干。 [潺湲]水の流れる音。

 

 ここしばらく厳しい暑さが続いていますが、中国の詩人たちは、夏場にはしばしば山や渓谷などに涼を求め、避暑に出かけます。

 この詩もまさにその避暑の詩です。山深き寺の夜、そこで聞こえる早瀬の音、顔に感じる水飛沫、見事に夏の「涼」を描き上げている詩ではないかと思います。

 

梅雨―杜甫

 「梅雨」というのはもともと梅の実が熟する頃に降る雨ということで、中国でもあります。その梅雨を詠った杜甫の詩を一首。

 

 梅雨  杜甫

南京犀浦道   南京 犀浦(さいほ)の道

四月熟黄梅   四月 黄梅 熟す

湛湛長江去   湛湛として 長江 去り

冥冥細雨来   冥冥として 細雨 来たる

茅茨疏易湿   茅茨 疏として湿(うるほ)ひ易く

雲霧密難開   雲霧 密として開き難し

竟日蛟龍喜   竟日 蛟龍(こうりゅう) 喜び

盤渦与岸迴   盤渦して 岸と迴(めぐ)

 

 南京(成都)にある犀浦県にある我が家の前の道では、四月になると梅が黄色く熟している。長江は満々と水をたたえて流れ去り、細かな雨が薄暗い中、降ってくる。茅葺きの屋根はまばらに葺いたもので雨がしみやすく、雲や霧は深く垂れこめて空はなかなか晴れない。このようなとき蛟龍などは一日中喜んで、曲がりくねる岸に沿って、渦をまいていることだろう。

 

※[南京]蜀の成都を指す。 [犀浦]成都にある県名。杜甫の草堂があった。 [茅茨]茅葺きの屋根。 [竟日]一日中。 [蛟龍]みずちと龍。伝説上の動物で水神でもある。 [盤渦]渦をまく。

 

 旧暦の4月は初夏、すなわち今の6月頃にあたります。梅の実が熟するなか降り続く雨、まことにうっとうしい様子が描かれ、そしてこんな時に喜ぶのは龍くらいのものであろうと詠います。

 龍は古来、風雨を呼ぶものであり、神的かつ荘厳なイメージがあります。それを雨の中で戯れるものとして描くことで、ぐっと人に近い存在になります。このような龍の描き方はあまり見られず、なかなか特徴的と言えるでしょう。

 

南史演義 巻4-10

 桓玄は足の速い船に乗って、西のかた江陵へと敗走した。郭銓(かくせん)は陣前で劉毅(りゅうき)に降った。殷仲文(いんちゅうぶん)は、はじめ桓玄に従って逃走したが、道中で引き返し、巴陵(はりょう)で何皇后と王皇后を迎え、二皇后を奉じて都建康へ向かった。劉裕はその罪を赦して不問にした。

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南史演義 巻4-9

 さて桓玄は尋陽(じんよう)に敗走したが、郭昶之(かくちょうし)が武器や兵力を支給したため、軍力を少し回復した。何無忌(かむき)、劉毅(りゅうき)、劉道規(りゅうどうき)の三将が追ってくるのを聞き、何澹之(かたんし)を留めて湓口(ほんこう)を守らせ、自身は晋帝を連れてさらに西に上った。江陵にいたると、桓石康(かんせきこう)がこれを迎えた。

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