酒を把りて月に問ふ

 

 把酒問月  酒を把(と)りて月に問ふ  李白
青天有月来幾時  青天 月有りて来(このか)た幾時ぞ
我今停杯一問之  我 今 杯を停めて一たび之に問ふ
人攀明月不可得  人 明月を攀(よ)づるも得(う)べからず
月行却与人相随  月行 却(かえ)って人と相ひ随ふ
皎如飛鏡臨丹闕  皎として飛鏡の丹闕(たんけつ)に臨むが如く
緑煙滅尽清輝発  緑煙 滅し尽くして 清輝 発す
但見宵従海上来  但だ見る 宵に海上より来たるを
寧知暁向雲間没  寧(なん)ぞ知らん 暁に雲間に向ひて没するを
白兔擣薬秋復春  白兔 薬を擣(つ)きて 秋 復た春
姮娥孤棲与誰隣  姮娥(こうが) 孤(ひと)り棲みて 誰と隣ならん
今人不見古時月  今の人 古時の月を見ず
今月曽経照古人  今の月 曽経(かつ)て古人を照らす
古人今人若流水  古人今人 流水の若く
共看明月皆如此  共に明月を看ること 皆 此(かく)の如し
唯願当歌対酒時  唯だ願ふ 歌に当たり酒に対するの時
月光長照金樽裏  月光 長(とこし)へに金樽の裏(うち)を照らさんことを

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南史演義 巻4-6

 さて呉甫之(ごほし)は江乗(こうじょう)まで進軍し、そこで劉裕軍と相遇した。呉甫之の兵は劉裕軍の数倍あり、甲冑や騎馬が陣に連なり、矛や槍は日に照らされ輝いていた。劉裕の兵はそれを見てみな恐れたが、劉裕は言った。「今日の戦は、進むことはあっても退くことはない、成敗はこの一戦にある。諸君、つとめよ!」そこで自ら士卒に先んじて、手に長刀を執り、大声を上げて突入していった。その勢いに敵は思わずみな兵を開いた。呉甫之は進んでこれを迎え撃ち、劉裕はその馬前に突進していった。

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南史演義 巻4-5

 さて一方、この同じ日、孟昶(もうちょう)青州にあり、桓宏(かんこう)に出猟するように勧め、その許可を得ていた。まだ夜が明けぬうちに門を開かせると、猟に出るはずの孟昶、劉毅(りゅうき)、劉道規(りゅうどうき)らは、壮士数十人を率い、間隙に乗じて突入した。桓宏はちょうど粥を食べていたが、劉毅等がやってくるのを見ると、箸を投げて立とうとしたが、道規がその直前に彼を斬った。左右は大いに乱れ、数人を殺してようやく止まった。

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月下独酌

 月下独酌  李白
花間一壷酒   花間 一壺の酒
独酌無相親   独り酌みて相ひ親しむ無し
挙杯邀明月   杯を挙げて明月を邀(むか)
対影成三人   影に対して三人と成る
月既不解飲   月は既に飲むを解せず
影徒随我身   影は徒らに我が身に随ふ
暫伴月将影   暫く月と影とを伴にし
行楽須及春   行楽 須(すべか)らく春に及ぶべし
我歌月裴回   我 歌へば月は裴回し
我舞影零乱   我 舞へば影は零乱す
醒時同交歓   醒むる時 同に交歓するも
酔後各分散   酔ひて後 各おの分散す
永結無情遊   永く結ぶ 無情の遊
相期邈雲漢   相ひ期す 邈(はる)かなる雲漢に

 

  花咲く樹々のもと一壺の酒を置き、独りで酌んで飲むだけで親しい者は誰もいない。杯をかかげて明月を迎え、自分の影と合わせて三人となった。しかし月は飲むことはできないし、影はただ私にくっついているだけ。しばらく月と影とを相手にして、春が過ぎぬうちに楽しむとしよう。私が歌うと月は行きつ戻りつし、私が舞うと影もゆらめく。まだ醒めている間はこのように一緒に楽しんでも、完全に酔ってしまえばそれぞればらばらなってしまうだろう。しかし永遠にこの無情の友との交遊を結び、遥かなる天の川での再会を約束しよう。

 

※[将]「与」に同じ。~と。 [及春]春が過ぎないうちに。 [裴回]徘徊に同じ。ここでは月が動くさまをいうか。 [零乱]乱れるさま。ここでは影が揺らめくさま。 [交歓]互いにうち解け合う。一緒に楽しむこと。 [無情]有情の人間に対して、自然物を指して無情という。 [遊]交わり。 [期]再び会うことを約束する。 [雲漢]天の川。 

 

 李白は月を愛した詩人として知られますが、それが端的に表れているのがこの詩でしょう。

 春の林の夜、ひとり酒を飲む李白。他に誰もいない中、月と自分の影とを相手にして楽しみます。そのこと自体は必ずしも目新しいものではありませんが、李白は月と影と自分とを合わせて「三人」と成ったと詠います。これは自分と月と影とを対等なものと見なす表現であり、その感性はとても常人ものではないと思います。

 そしてしだいに酔っていく李白は、これら月と影といった「無情」の友と、「雲漢」での再会を約束します。彼の精神は地上を離れ、はるか天上世界へと飛んでいくのです。

 非常に幻想的・超俗的な詩であり、詩仙李白の真骨頂でと言えるでしょう。

南史演義 巻4-4

 何無忌は事を挙げようとした際、家人に知られることを恐れ、夜、ひそかに屏風の後に檄文を書いていた。その母劉氏は、劉牢之(りゅうろうし)の姉であり、階段の上からこの様子をうかがい、桓玄を討とうとしていると知り、大いに喜んだ。そして彼を呼んで言った。「私は東海の呂母(りょぼ)の聡明さには及びませんが、ただもしお前がこれを成し遂げたなら、何も恨むことはありません!」

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