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相送―何遜

  相送  何遜(かそん)
客心已百念   客心 已(すで)に百念
孤遊重千里   孤遊 千里を重ぬ
江暗雨欲来   江 暗くして 雨 来たらんと欲し
浪白風初起   浪 白くして 風 初めて起こる

 

 異郷にある身の心にはさまざまな思いが湧き起こってくる。私はただ一人これからまた千里の旅に出ようとしている。川の上は暗くなって今にも雨が降りそう。そして白い波が立って風が起こり始めている。

※[客心]異郷にある心。故郷を思う心。 [百念]さまざまな思い。 [重千里]さらに千里の旅を重ねる。千里の旅に出る。 [初]~しはじめる。~しようとする。

 

 この詩の作者何遜は、字は仲言、六朝・梁の詩人です。幼い頃より詩文に優れ、沈約(しんやく)・范雲(はんうん)といった当時の文壇の重鎮たちから高く評価されていました。しかし時の皇帝、梁の武帝の不興を買って中央から退けられ、地方官のまま一生を終えます。現在ではそれほどその名は知られていませんが、美しい自然描写と豊かな抒情性を備えており、唐詩の先駆の一人とされ、杜甫が敬愛した詩人でもありました。

 

 詩題の「相送」とは、人を見送るという意味ですが、この詩は見送られる立場から詠われています。何遜が相手の立場に立って詠ったという解釈と、何遜自身が見送られる立場であったという解釈とがあります。

 そして印象深いのが後半に描かれる風景描写です。今にも雨が降り、風が起ころうとする様子は、実際目にした風景というより心象風景と言って良いでしょう。旅人のこれからの不安を暗示させるものであり、情と景を融合したその巧みな表現力は、唐詩と比べても遜色ないものと言えます。

 

 

南史演義 巻3-8

 一方、劉牢之(りゅうろうし)は兵を退いて以降、人心を大いに失い、威望も激しくそこなわれ、心中非常に悔いていた。そしてある日、劉牢之を会稽内史に任ずる詔が下ると、彼は大いに懼れた。「こうなっては我が兵が奪われてしまう。禍が迫ってきた!」この時、劉敬宣(りゅうけいせん)は京にあったが、桓玄は劉牢之が命を受けないことを恐れ、彼を帰して諭させた。敬宣は帰って父に言った。「桓玄は測ることのできぬ大きな志を抱いています。父上の功名を深く憎んでおり、決して容れられることはありません。どういたしましょうか。」劉牢之「私は自身の愚の報いを受けた。今はとりあえず江北に行き、そこで事を謀ろうと思う。おまえは京口に行って、すみやかに一族を連れて来い。」敬宣は命を受けて去った。

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南史演義 巻3-7

 この時、桓玄(かんげん)はしばしば勝利を収めていたとはいえ、やはり劉牢之(りゅうろうし)を恐れ、あえてすぐに都の門を犯そうとはしなかった。卞范之(べんはんし)が言った。「劉牢之が強兵数万を擁しながら、溧州(りつしゅう)に軍をとどめ、徘徊して進もうとしないところを見ますに、必ず司馬元顕(しばげんけん)に対して二心を抱いています。もし礼を低くして厚く贈り物をし、これと手を結べば、元顕の首を取ること塵芥(ちりあくた)を拾うようなものです。」

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南史演義 巻3-6

 ところで、庾楷(ゆかい)はもともと反覆の徒であり、先ごろ桓玄(かんげん)に味方したものの、ただ南昌(なんしょう)太守を与えられただけであったため、鬱鬱(うつうつ)として楽しまなかった。そして桓玄によって夏口(かこう)に移されたため、さらに不満を抱き、司馬元顕(しばげんけん)に書を送って言った。「桓玄は荊州にあって、大いに人心を失っており、兵もその用をなしておりません。もし朝廷が一将を派遣してこれを討伐されるのであれば、私も内応し、その軍を打ち破りましょう。」

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南史演義 巻3-5

 ところで楊広(ようこう)は襄陽(じょうよう)に逃げかえり、泣きながら瓊玉(けいぎょく)に言った。「弟は戦死し、我が軍は全滅しました。あなたの夫の一族はことごとく殺害され、襄陽は孤城となっています。恐らくはこれを守ることは難しいと思われます。どうしましょう?」瓊玉はこの知らせを聞くと、驚いて魂も天に飛んでいき、地に伏して嘆き、そのまま倒れてしまった。

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