南史演義 巻3-7

 この時、桓玄(かんげん)はしばしば勝利を収めていたとはいえ、やはり劉牢之(りゅうろうし)を恐れ、あえてすぐに都の門を犯そうとはしなかった。卞范之(べんはんし)が言った。「劉牢之が強兵数万を擁しながら、溧州(りつしゅう)に軍をとどめ、徘徊して進もうとしないところを見ますに、必ず司馬元顕(しばげんけん)に対して二心を抱いています。もし礼を低くして厚く贈り物をし、これと手を結べば、元顕の首を取ること塵芥(ちりあくた)を拾うようなものです。」

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南史演義 巻3-6

 ところで、庾楷(ゆかい)はもともと反覆の徒であり、先ごろ桓玄(かんげん)に味方したものの、ただ南昌(なんしょう)太守を与えられただけであったため、鬱鬱(うつうつ)として楽しまなかった。そして桓玄によって夏口(かこう)に移されたため、さらに不満を抱き、司馬元顕(しばげんけん)に書を送って言った。「桓玄は荊州にあって、大いに人心を失っており、兵もその用をなしておりません。もし朝廷が一将を派遣してこれを討伐されるのであれば、私も内応し、その軍を打ち破りましょう。」

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南史演義 巻3-5

 ところで楊広(ようこう)は襄陽(じょうよう)に逃げかえり、泣きながら瓊玉(けいぎょく)に言った。「弟は戦死し、我が軍は全滅しました。あなたの夫の一族はことごとく殺害され、襄陽は孤城となっています。恐らくはこれを守ることは難しいと思われます。どうしましょう?」瓊玉はこの知らせを聞くと、驚いて魂も天に飛んでいき、地に伏して嘆き、そのまま倒れてしまった。

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一片の氷心 玉壺にあり

 芙蓉楼送辛漸  芙蓉楼にて辛漸(しんぜん)を送る
                王昌齢
寒雨連江夜入呉   寒雨 江に連なりて 夜 呉に入る
平明送客楚山孤   平明 客を送れば 楚山 孤なり
洛陽親友如相問   洛陽の親友 如(も)し相ひ問はば
一片氷心在玉壺   一片の氷心 玉壺(ぎょくこ)に在り

 
 冷たい雨が長江に激しく降り注ぐなか、君とともに呉にやってきた。明け方に君を送り出すと、行く手には楚山がぽつんと姿を見せている。もし洛陽の親友が私のことを尋ねたなら、こう答えて欲しい。一片の氷が、白玉の壺の中にあるように我が心は清く澄みきっているのだと。


※[芙蓉楼]潤州丹陽(今の江蘇省鎮江市)にあった楼閣。 [寒雨]冷たい雨。主に晩秋以降の雨をいうことが多い。 [平明]明け方。 [一片]①ひとかけら。②一杯の。 [氷心]氷のように澄みきった心。 [玉壺]白玉で作られた清らかな壺。

 

 親しい人を見送る送別詩は、唐詩の主要なジャンルですが、この詩は先に挙げた李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」と並び、名詩として知られています。
 雨の降りしきる薄暗い風景、それは友人との別れの辛さ、寂しさを表しており、そのような風景の中で友人と別れた後、ぽつんとそびえる楚山は、自分の姿を重ね合わせたものです。

 しかし、もし洛陽の友人たちが私のことを尋ねたなら、王昌齢は「一片の氷心 玉壺に在り」と答えてくれと伝えます。これは自分の心がいかに澄みきって清らかであるかを示す句ですが、そこには洛陽の友人、そして今別れゆく辛漸を心配させまいとする、彼の思いやりが込められているのではないでしょうか。

 この最後の句の清らかさは読む人に強い印象を与え、そのためほぼ同時代の頃から、広く人口に膾炙していきました。

南史演義 巻3-4

 しかし楊佺期(ようせんき)が江陵に至ると、殷仲堪(いんちゅうかん)のもとには援軍をねぎらう酒食などもなく、ただ麦を軍に支給しているだけであった。楊佺期は大いに怒って言った。「殷侯はわしを誤らせた。今ここで敗れるだろう!」そのまま仲堪の方を見ず、にわかに甲冑を着て馬に乗り、城から討って出た。

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