南史演義 巻5-3

 夏四月、劉裕は藩国に帰ることを願い出た。詔があり、改めて都督荊司等十六州諸軍事に任じられ、軍を率いて京口(けいこう)に還った。

 これより先、桓玄が禅譲を受けた際、王謐(おうひつ)は司徒となり、自ら安帝の玉璽を解いて桓玄に奉った。その王謐が揚州刺史を兼任することになると、諸臣はみな寛大に過ぎると思い、中でも劉毅(りゅうき)はもっとも不満を抱いていた。ある日、帝が朝堂にて宴を賜わることとなり、百官が参集したが、王謐は重鎮の大臣であるためその首座にすわった。劉毅は憤然と色をなして言った。「かつて逆賊桓玄が乱を起こし、天位もひとたび移ったが、今、幸いにも王室は復興した。我らはみな大晋の臣として逆賊の朝廷に拝跪しなかったことこそ、まさに大いなる栄誉であろう。」

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南史演義 巻5-2

 これより先、劉裕は劉敬宣(りゅうけいせん)に命じて諸軍の後援としていた。敬宣は日夜おこたることなく武器甲冑を整え、金や糧食を集め蓄えていた。そのため何無忌(かむき)等は敗退したとはいえ、これらを得てまた士気は高まった。兵を数十日とどめた後、また尋陽から西上した。

 夏口にいたると、敵兵が要険を守っており進むことができなかった。その時、桓振(かんしん)は部将の馮該(ふうがい)を遣わして東岸を押さえさせ、孟山図(もうさんと)魯山城を、桓仙客(かんせんきゃく)に偃月塁(えんげつるい)を守らせていた。これらの兵を合わせると一万にのぼり、水陸から相互に助けさせた。

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南史演義 巻5-1

第五巻

    晋室を扶(たす)けて四方は悦び服し 燕邦を伐ちて一挙に蕩平す

 

 さてこの桓玄(かんげん)を殺したのは、すなわち益州刺史毛璩(もうきょ)の甥、毛祐之(もうゆうし)であった。桓玄が帝位を簒奪した際、毛璩を益州刺史とし、さらに左将軍を加えようとしたが、彼は命を受けず、遠近に檄を飛ばして、桓玄の罪状を並べ上げていた。そして劉裕(りゅうゆう)が都を回復したと聞くと、甥の祐之に兵三千を率いて江陵へ向かわせ、桓玄の帰路を絶とうとした。そこで折良く桓玄と遭遇し、そのままこれを撃ち破ったのである。そして桓玄の首を江陵へ届けさせると、毛祐之は兵を収めて引き返した。

 

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歩出夏門行〔観滄海〕 ― 曹操

歩出夏門行〔観滄海〕 曹操

東臨碣石   東のかた碣石(けっせき)に臨み
以観滄海   以て滄海を観る
水何澹澹   水は何ぞ澹澹(たんたん)たる
山島竦峙   山島 竦峙(しょうじ)たり
樹木叢生   樹木 叢(むら)がり生じ
百草豊茂   百草 豊かに茂る
秋風蕭瑟   秋風 蕭瑟として
洪波湧起   洪波 湧き起こる
日月之行   日月の行
若出其中   其の中(うち)より出づるが若し
星漢燦爛   星漢 燦爛として
若出其裏   其の裏(うち)より出づるが若し
幸甚至哉   幸ひ甚だ至れる哉(かな)
歌以詠志   歌ひて以て志を詠ぜん

 東のかた碣石山に臨み、青海原を見る。その水面は何とゆったりと揺らいでいることか。山のある島が高くそびえ立っている。そこには樹木がむらがり生じ、多くの草が豊かに生い茂っている。秋風がもの寂しい音をたてて吹き、大きな波が湧き起こっている。日や月のめぐりは、その中から昇ってくるかのよう。天の川も光り輝き、その奥から湧き出てくるかのよう。人生とは何と幸いなことか。その思いを歌に詠おう。

※[碣石]山の名。碣石山。河北省秦皇島市の北、あるいは山東省無棣県にある。 [澹澹]水面がゆったりゆらぐさま。 [竦峙]そびえたつさま。 [蕭瑟]風がもの寂しく吹くさま。 [星漢]天の川。 [燦爛]きらめき輝くさま。 


 『三国志』で一般に悪役とされる曹操(155~220)は、実は詩人としても非常に傑出した人物でありました。この「歩出夏門行」は楽府(がふ)と呼ばれる詩の一種です。。楽府(がふ)とは、もと民間の歌曲を集める役所の名であり、後にそこに集められた歌を楽府と呼ぶようになり、さらにその歌をもとに詩人たちが新たに楽府を造っていきます。

 ここに挙げた詩は曹操がすでにあった「歩出夏門行」(歩みて夏門を出づる行)という歌曲に合わせて作ったものですが、これは曲調を合わせただけで、そのタイトルと詩の内容とはあまり関わりがありません。曹操には同題で四首の作が残っており、これはその一つです。

 この詩はかつて河北に勢力を誇った袁氏を滅ぼし、さらにはそれと手を結んでいた北方烏丸(うがん)族を討伐に向かった時の作とされます。中国は大陸の国であり、そこに育った人間にとって海はやはり異世界でありました。おそらく曹操はこの時初めて海を見たのでしょう。雄大な海の風景、その感動を見事に詠い上げています。

 中国では海を詠った詩は少なく、これはその先駆けと言えるでしょう。

 

巧言令色、鮮し仁

論語』学而

子曰く、「巧言令色、鮮(すくな)し仁」と。


孔子は言われた、「巧みな言葉を用い、愛想良く表情を取り繕う者は、仁の心は少ない」と。


 孔子の有名な言葉の一つです。

 漢の包咸(ほうかん)の注によれば、「巧言」とは言葉を巧みに飾ること、「令色」とは表情を巧みにつくろうことで、ともに相手を喜ばせようとする行動であるとし、そこに「仁」は少ないと孔子は言います。

 「仁」はしばしば日本語で「思いやり」とも訳されます。相手を思い、相手が喜ぶことをするのは一見すると「仁」(思いやり)のように思えますが、「巧言令色」によって喜ばせるというのは、それは決して「仁」ではないのです。

 相手を「思いやる」のであれば、あえて直言することも必要でしょう。