南史演義 巻5-1

第五巻

    晋室を扶(たす)けて四方は悦び服し 燕邦を伐ちて一挙に蕩平す

 

 さてこの桓玄(かんげん)を殺したのは、すなわち益州刺史毛璩(もうきょ)の甥、毛祐之(もうゆうし)であった。桓玄が帝位を簒奪した際、毛璩を益州刺史とし、さらに左将軍を加えようとしたが、彼は命を受けず、遠近に檄を飛ばして、桓玄の罪状を並べ上げていた。そして劉裕(りゅうゆう)が都を回復したと聞くと、甥の祐之に兵三千を率いて江陵へ向かわせ、桓玄の帰路を絶とうとした。そこで折良く桓玄と遭遇し、そのままこれを撃ち破ったのである。そして桓玄の首を江陵へ届けさせると、毛祐之は兵を収めて引き返した。

 

続きを読む

歩出夏門行〔観滄海〕 ― 曹操

歩出夏門行〔観滄海〕 曹操

東臨碣石   東のかた碣石(けっせき)に臨み
以観滄海   以て滄海を観る
水何澹澹   水は何ぞ澹澹(たんたん)たる
山島竦峙   山島 竦峙(しょうじ)たり
樹木叢生   樹木 叢(むら)がり生じ
百草豊茂   百草 豊かに茂る
秋風蕭瑟   秋風 蕭瑟として
洪波湧起   洪波 湧き起こる
日月之行   日月の行
若出其中   其の中(うち)より出づるが若し
星漢燦爛   星漢 燦爛として
若出其裏   其の裏(うち)より出づるが若し
幸甚至哉   幸ひ甚だ至れる哉(かな)
歌以詠志   歌ひて以て志を詠ぜん

 東のかた碣石山に臨み、青海原を見る。その水面は何とゆったりと揺らいでいることか。山のある島が高くそびえ立っている。そこには樹木がむらがり生じ、多くの草が豊かに生い茂っている。秋風がもの寂しい音をたてて吹き、大きな波が湧き起こっている。日や月のめぐりは、その中から昇ってくるかのよう。天の川も光り輝き、その奥から湧き出てくるかのよう。人生とは何と幸いなことか。その思いを歌に詠おう。

※[碣石]山の名。碣石山。河北省秦皇島市の北、あるいは山東省無棣県にある。 [澹澹]水面がゆったりゆらぐさま。 [竦峙]そびえたつさま。 [蕭瑟]風がもの寂しく吹くさま。 [星漢]天の川。 [燦爛]きらめき輝くさま。 


 『三国志』で一般に悪役とされる曹操(155~220)は、実は詩人としても非常に傑出した人物でありました。この「歩出夏門行」は楽府(がふ)と呼ばれる詩の一種です。。楽府(がふ)とは、もと民間の歌曲を集める役所の名であり、後にそこに集められた歌を楽府と呼ぶようになり、さらにその歌をもとに詩人たちが新たに楽府を造っていきます。

 ここに挙げた詩は曹操がすでにあった「歩出夏門行」(歩みて夏門を出づる行)という歌曲に合わせて作ったものですが、これは曲調を合わせただけで、そのタイトルと詩の内容とはあまり関わりがありません。曹操には同題で四首の作が残っており、これはその一つです。

 この詩はかつて河北に勢力を誇った袁氏を滅ぼし、さらにはそれと手を結んでいた北方烏丸(うがん)族を討伐に向かった時の作とされます。中国は大陸の国であり、そこに育った人間にとって海はやはり異世界でありました。おそらく曹操はこの時初めて海を見たのでしょう。雄大な海の風景、その感動を見事に詠い上げています。

 中国では海を詠った詩は少なく、これはその先駆けと言えるでしょう。

 

巧言令色、鮮し仁

論語』学而

子曰く、「巧言令色、鮮(すくな)し仁」と。


孔子は言われた、「巧みな言葉を用い、愛想良く表情を取り繕う者は、仁の心は少ない」と。


 孔子の有名な言葉の一つです。

 漢の包咸(ほうかん)の注によれば、「巧言」とは言葉を巧みに飾ること、「令色」とは表情を巧みにつくろうことで、ともに相手を喜ばせようとする行動であるとし、そこに「仁」は少ないと孔子は言います。

 「仁」はしばしば日本語で「思いやり」とも訳されます。相手を思い、相手が喜ぶことをするのは一見すると「仁」(思いやり)のように思えますが、「巧言令色」によって喜ばせるというのは、それは決して「仁」ではないのです。

 相手を「思いやる」のであれば、あえて直言することも必要でしょう。

 

 

隋宮の春

 隋宮の春    杜牧
龍舟東下事成空   龍舟 東に下るも 事 空(くう)と成る
蔓草萋萋満故宮   蔓草(まんそう) 萋萋(せいせい)として 故宮に満つ
亡国亡家為顔色   国を亡(ほろ)ぼし家を亡ぼすは 顔色が為なり
露桃猶自恨春風   露桃 猶ほ自ら春風を恨む

 煬帝は龍舟を浮かべて東に下って遊んだが、それも今はもうない。はびこる草が盛んに茂って古い宮殿に満ちあふれている。国も家も滅びたのは、煬帝が容色に溺れたがため。咲き誇る桃の花さえも、春風の中で恨みを抱いているようだ。

※[龍舟]天子の乗る舟をいう。四層からなる巨大な舟で、煬帝はこれを大運河に浮かべて往来し、日夜歓楽にふけったという。 [成空]すっかりなくなること。 [蔓草]はびこる草。 [萋萋]草が盛んに茂るさま。 [顔色]容貌、容色。ここでは美女をいう。 [露桃]もとは恵みの露をうけて生ずる桃の樹をいう。ここでは咲き誇る桃の花。また「露」は天子の恩寵の意味もあるため、「露桃」は天子の寵愛を受けた美女をイメージさせる。

 

 隋の煬帝をテーマとした詩です。
 煬帝(在位604~618)は、本名は楊広、隋の初代皇帝楊堅(文帝)の次子として生まれます。隋が建国されると晋王となりますが、後に腹心の楊素らと謀り、文帝への讒言によって兄の皇太子楊勇を廃嫡させ、皇太子となります。604年、文帝の崩御に伴い即位しましたが、崩御直前に文帝が楊広を廃嫡しようとして逆に暗殺された、とする話が根強く流布しました。
 即位した煬帝は奢侈を好み、荒淫にふけります。また百万の民衆を動員し、華北と江南をつなぐ大運河を建設しました。対外的には積極的に領土拡大につとめ、612年には高句麗遠征を行いました。この遠征は三度に渡って実施されましたが結局失敗に終わり、これにより隋の権威は大いに失墜します。その後、各地で反乱が発生し、国内が大いに乱れると、煬帝は難を避けて江都(揚州)に逃れました。江都に至った煬帝は、次第に現実から逃避して酒色にふける生活を送るようになり、618年、臣下である宇文化及らによって殺害されました。

 

 この杜牧の詩は、容色に溺れた煬帝を批判しつつ、かつて栄華を極めた国(隋)が滅んだことに思いを馳せる懐古詩となっています。すべてが失われたあともなお変わらぬ自然(蔓草・露桃・春風)を描くことで、栄枯盛衰の無常観がより際立っていると言えるでしょう。

 

白頭を悲しむ翁に代す

 代悲白頭翁  白頭を悲しむ翁に代す  劉希夷

洛陽城東桃李花  洛陽の城東 桃李の花
飛来飛去落誰家  飛び来たり飛び去りて 誰(た)が家にか落つ
洛陽女児好顏色  洛陽の女児 顔色を好み
坐見落花長歎息  坐(そぞ)ろに落花を見て 長く歎息す
今年花落顏色改  今年 花落ちて 顔色 改まり
明年花開復誰在  明年 花開きて 復た誰か在る
已見松柏摧為薪  已に見る 松柏 摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為るを
更聞桑田変成海  更に聞く 桑田 変じて海と成るを
古人無復洛城東  古人 復た洛城の東に無く
今人還対落花風  今人 還(ま)た落花の風に対す
年年歳歳花相似  年年歳歳 花 相ひ似たり
歳歳年年人不同  歳歳年年 人 同じからず
寄言全盛紅顔子  言を寄す 全盛の紅顔子
応憐半死白頭翁  応に憐れむべし 半死の白頭翁
此翁白頭真可憐  此の翁 白頭 真に憐れむ可し
伊昔紅顏美少年  伊(こ)れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹下  公子王孫 芳樹の下
清歌妙舞落花前  清歌妙舞 落花の前
光禄池台開錦繍  光禄の池台 錦繍を開き
将軍楼閣画神仙  将軍の楼閣 神仙を画く
一朝臥病無相識  一朝 病に臥せば 相ひ識る無く
三春行楽在誰辺  三春の行楽 誰(た)が辺にか在る
宛転蛾眉能幾時  宛転たる蛾眉 能く幾時ぞ
須臾鶴髪乱如糸  須臾(しゅゆ)にして 鶴髪 乱れて糸の如し
但看古来歌舞地  但だ看る 古来 歌舞の地
惟有黄昏鳥雀悲  惟だ有り 黄昏に鳥雀悲しむ

 

 洛陽の城の東に桃や李の花が咲いている。あちこちに飛び散って誰の所に落ちていくのか。洛陽の女子は容色を大事にし、何とはなしに散りゆく花を見て長くため息をついている。今年花が散って容色も衰えてしまう。来年花が咲いたとき誰が生きているだろうか。松柏がくだかれて薪となったのを目にし、桑畑も海に変わってしまった話を聞いている。この洛城の東で(同じように花を見たであろう)古人はもはやなく、今の人がまた(古人と同じように)花を散らす風に向きあっている。年々歳々花は同じように咲いているが、歳々年々その花を見る人は同じではない。今が全盛の若者達にひとこと言いたい。死にかけの白髪頭の翁こそ憐れなものなのだ。この翁の白髪頭は何と憐れなことか。しかしそれこそ昔は紅顔の美少年だったのだ。かつては王侯貴族の子弟たちと花咲く木々の下で、散る花を前に歌ったり踊ったりしていたのだ。光禄大夫の豪奢な池のほとりの台閣、その錦の帳を開いて出入りし、大将軍の楼閣の神仙の絵が描かれたところで遊んだりしていたのだ。しかし一度病に臥してからは誰も知るものもなくなり、春の行楽もいったいどこへ行けばよいのか。その麗しく細い眉もどれほど保たれようか。たちまちのうちに鶴のような白髪となって糸のように乱れることだろう。昔歌い舞った地を見ても、ただ黄昏時に小鳥が哀しげに鳴いているばかり。

※[坐]そぞろに。何とはなしに。意味もなく。 [松柏摧為薪]漢代の無名氏「古詩」に「古墓は犂(す)かれて田と為り、松柏は摧かれて薪と為る」とあるのを踏まえる。 [桑田変成海]『神仙伝』の中で、仙女麻姑(まこ)と仙人王方平(おうほうへい)が「この前お会いしたときから、東海が三度も桑田に変わってしまいましたね」と話した故事を踏まえる。ともにきわめて長い時間が経過したことを言う。 [光禄池台]漢の光禄大夫王根(おうこん)が建てた豪奢な台閣。池の中に築いたという。 [将軍楼閣画神仙]後漢の大将軍梁冀(りょうき)がやはり壮麗な邸宅を作り、壁に仙人の姿を描いたという。 [蛾眉]娥の触覚のような細い眉。美しい眉の形容。 [須臾]たちまち。 [鶴髪]鶴のような白い髪。

 

 詩題「代悲白頭翁」の「代」とは「擬」に同じく、先行作品を模擬するという意で、「悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁)という詩を模擬したものとされます。しかし先にあったであろう「悲白頭翁」という詩は現在は確認できません。日本ではこの詩は古来「白頭を悲しむ翁に代はりて」と訓じ、翁の思いを代弁した作と解されています。

 花の舞い散る洛陽の春の風景から詠い起こし、万物の移り変わりへと思いを馳せていきます。そして華やかなりし青春を送っていても、いずれは年老いてしまうことを述べており、人生のはかなさ、無常観を感じさせるものとなっています。

 とりわけ「年年歳歳 花 相ひ似たり、歳歳年年 人 同じからず」とは有名な句であり、作者劉希夷は、他の詩人からこの二句を自分のものにしたいと求められ、それを断ったがために殺されたという伝承があるほどです。その真偽はともかく、これこそ古今の名句と言えるものでしょう。